2012/01/16

1.15 線上にて/ことば と 速度

きょうも横浜。
東京藝大シンポジウム「10 MONTH AFTER 3.11」へ。

作品や活動、その作家性を敬愛し、
指標にしているともいえる表現者たちの
それぞれの立ち位置と経験によることばは、
それぞれ真理であり、共感し、励まされるものだった。

胸に書き留めた言葉や、やりとりはいくつもあるけれど、
印象的だったのは、全体の話の流れにいく度かでてきた、
大友良英さん、イルコモンズさんらが口にされていた“分断線”について。

そして “ことば” と、“速度”。

分断線については、
高橋源一郎さんが分断線についての文章を書かれているけれど、
3.11以降できた、いくつもの分断線、
それはたぶん、ほとんどの方が感じたことだろう。
わたしもいくつもみたし、引いてきたかもしれない。
脱/反原発の動きでもおなじようなレイヤーの違いを感じる。

けどこの分断線、
一本のはっきりしたものじゃなくて、
ひとりの人の中でも、ぶれや、揺れがあるように思う。
わたしの中でもいくつもの分断線があり、交差している。
そのいくつかの線が、わたしという座標を示している。
大友さんが言われていた
「分断線を見極めるのは大事なこと」というのは、
じぶんや、それぞれの立ち位置を見極めろ、ということなのかもしれない。
そして、いろんな分断線に「緩く」向き合うことが大事なのは、
その人の 揺れ を許容してあげることでもあるんだろうと思う。

そんなことを象徴的にみた気がするのが、きょうの第二部の質疑応答。
各作家性が露出し、わたしは大変興味深かったのだけど、
そのなかでも「原発輸出」についての論議は象徴的だった。
原発輸出を止められる、止められない、
現実的か、現実的じゃないか、
ことばは有効か、有効じゃないか、、、
いえばその会場に、分断線が浮いてみえた瞬間だった。
名作家/個人が集まって話すことで浮き彫りになった思考の溝。

その線が浮き彫りになったころ、司会の八谷さんが、
(もしかしたらその分断線に布をかけるように)次の質問に移行しかけたとき、
山川冬樹さんが「ちょっと待って」と質問を戻した。
「解らないから解るまで、発言の意図を聞きたい」と。
わたしはそこで質問を戻す、時間をかけることはすごく重要だと思った。
それは分断線によって、バラバラにならないための、ひとつの鍵だと思った。
同じ意見じゃなくてもよいのだということ、
分断線が悪いのではなく、分断線をタブー化しないことが、重要なのだと思う。

ほんとうの「絆」というのは、
そのそれぞれの座標である分断線をなくすことではなくて、
分断、言い換えれば多様性を認めながらも、
分断線によって引き裂かれないことなんだと思う。

これができるかどうか、わたしたちは今、試されているんだろう。
その分断線で分断されないために、
“ことば” と必要な “速度” があるように思った。

まずは「原発輸出に反対です。」
と、ことばにすること。
ことばによって動かせるものはある。
わたしも言霊を信じている。

そして、聴き合うこと。
分断線をみとめること。

そしてこれからは、イルコモンズさんも言われていたが、
それぞれの“ことば”や表現として立ち現れる「速度」を、時間を、
許容/共有することじゃないか、と思った。
3.11直後はスピード感が重要だったと思う。
けれど、これからはそれぞれのことばになる速度、
そして互いの違うことばに、耳を傾ける時間、が必要なのだと思う。


奇しくも、同日、同じ横浜で、
中沢新一さんらによる「緑の日本」党の立ち上げが発表された。

「ことばやイメージで、バーチャルな世界で伝えられているものを、
現実の世界の力にしていかなければいけない」と。

過日のDOMMNUNEでは
「離れてしまった『政治』と『文化』をつなげたい」という旨を言われていた。
強く共感する。
そのためにわたしも動きたい。
わくわくする。
緊張もする。

すごい時代に立ちあったものだ。
震災、原発事故からの復興だけのことではなくて、
民主主義の根本を見直す、もしかしたら、
初めて自分たちの手にしようとしているのかもしれない。
文化をもって。

わたしたちは試されている。

その解答として、わたしは手を動かし、身体を動かしていきたい。
“ことば” で動くことはある。
ことばは文化の源だとわたしは思っている。

、、なんて、そんなことをぐるぐる思って、鼻息荒くなって、
電車を乗り間違えた、
そんな帰り道。