風や雨の轟音に、恐ろしくて不安になってもなお、
ふしぎなことに、荒ぶる世界をみていると、
どこか救われるところもある。
これはなんだろう。
どこか救われるところもある。
これはなんだろう。
いつも晴れてる日もない。
いつも穏やかな海もない。
降っても晴れても、この世界で泳いでいる。泳がされている。
そういう自分ではどうしようもないこと、
そういう力に身を預けること。
なので、凄まじいハリケーンのなか、
掃除をしたり、楽器をふいたり、
そして借りた「災害ユートピア」の続きを読む。
「わたしたちの言語には、こういった感情
—悲惨さにくるまれてやって来た素晴らしいことや、
悲しみの中の喜び、恐怖の中の勇気—を表す語彙すらない。
もちろん災害を歓迎することはできないが、
それへの反応を、実質面と心理面での両方でありがたがることはできる。」
両義的で複雑で、正義ではなく浅深な世界、
災害というか、自然そのもの。
そして人間も自然の一部だと、つくづく思う。
不安定で暴力的な世界の中に、
強い変わらない尊いものが露になることもある。
そんなことをおしえてくれる、あらしの夜。
毎日ではつらいけど、時にひつような時間。