風邪ではなくて、
去年から患ってしまったものが悪さしているような気がする。
定期的に検診を受けに行っているので、
気にしないようにしているけど、
悪く進行しているのではないかと不安になる。
しかも働けないとお金にもならないので、焦る。
寝てなんかいられないのに、、、。
どうにもならないので、気にしないのがいちばんだ。
あまり先のことを考えてもしかたないので、
ひとつひとつ、
自分のしたいことを焦らずしていこう。
後で悔いが残らないように。
ほんとうはきょう、母が来る予定だった。
きのう、電話があった。
親というのは恐ろしい直感で、
元気じゃないときに「元気?」って、電話してくる。
とにかく心配なので来るというが、断ってしまった。
こんな姿をみせたらさらに心配させるから。
去年、わたしのことで心労をかけてから、
必要以上に連絡しなくなった。
引越のあとの片付いていない部屋をみて、
「切ない」と言って帰っていった母を元気づけるにはどうしたらよいだろう。
去年、がっかりさせたぶんを何でとりかえせるだろう。
思いつかない。
せめてこれ以上心配させたくない。
この半年、実家にも帰っていない。
甥っ子の幼稚園の最後のお遊戯もみてあげなかった薄情な叔母、、。
実家といっても、もうわたしのいるところではないし、
わたしはこっちでがんばらないといけない。
それにはもうすこし時間がかかる。
なのに今こんな寝込んでいる自分がふがいないのだけど、、
母さん、
もうすこし待っててね。
五月のメイデーになると、母を思い出す。
母は仕事の労働組合の関係で、毎年メイデーのデモには歩いていた。
わたしを置いていけないので、仕方なしにわたしを連れて歩いていた。わたしは一年で一日、
母とずっといっしょにいられたのはメイデーだったような気がする。
だからメイデーは楽しみの日だった。
大人が風船をくれた。
わたしが子どもの頃から家を出る高校くらいまで、
母は仕事から帰ると、具合が悪いのでそのまま寝ていた。
もともと丈夫な方でなく、自律神経が弱い人ではあったけれど、
仕事と子育てでギリギリだったのだろうなと思う。
いまでこそ週休二日が一般的だけど、
昔は週6日、ときには日曜日も仕事の日があった。
父も同じように働いていた。
ふたりは善良な両親で、
こどものために朝から晩まで、それこそ休みなく働いていた。
日々の楽しみは唯一家族が揃う、
朝ラジオを聴きながら食べる朝食と、
日曜日の夜の8ミリの上映会だった。
わたしは両親と過ごした時間は少なかったけれど、
しあわせなこどもだった。
母の日の日曜日、
その日には元気になっていよう。
元気だよ、って電話をしよう。