2012/11/16

11.16 鍬と種

ハロー、マイ・シスター、
ハロー、マイ・フレンド。


さいしょに、
わたしの手紙が不在のあいだ、
わたしに手紙をくれた友だちへ、
ありがとう。
救われました。

すこぶる元気ではないけれど、
手紙をかけるくらいにはまともになってきました。たぶん。


ひさしぶりの手紙は、鍬と種のこと。


まず、鍬のこと。

わたしの敬愛している翻訳家で児童文学家の石井桃子さんが、
戦争中の疎開先の仙台で、
女性二人で開墾して農業を始めたのを知ったのは、ちょうど一年前くらい。
わたしはそれから、
なにかあるたび、とくにひとりで落ち込んだとき、
石井さんが握った鍬のことを思う。
彼女がみていた北の景色を思い浮かべる。
想像だけど。
寒い北の地で開墾を始めた石井さんはどんな気持ちだったのだろうとか、
そこに託された希望とか、
冷えた土とか、
植えられた種とか。

わたしは鍬を持っているだろうかって、いつも考える。




そして、種のこと。

きょうから3日間、
路地と人で開催されるコートニー・コームスの展示に絡んで、
女性のための対話のテーブル、
“思考の種 Food of thought”という集まりをします。

これはフェミニスト・アーティストである
ジュディ・シカゴの作品「Dinner Party」にインスパイアされたもの。
エミリー・デキィンソンやヴァージニア・ウルフ、ジョージア・オキーフ、、、
わたしもだいすきな歴代の女性の詩人や作家や社会活動家たち、
彼女たちを迎えるために配された食膳、並べられた皿とクロス。
集まった かの女性たちはそこでどんな話をするのだろう。
彼女たちが過ぎ去った扉をあけて、食卓につく、
置かれた皿を目の前に、誰かが少しずつ、語り出す。

そんなことをイメージして、
路地と人でも女性たちの対話のための
ディナー・パーティをひらくことになりました。
女性と社会を結びつける、
フェミニズムの運動として行われてきたディナーパーティ、思考の種。
けれど日本ではフェミニズムというと、ある種の偏見があったり、
ほとんどの方は知らない、分からないという。
躊躇する。
それはわたしもそうだった。

だからこのFood of thoughtの話を
キュレーターのエミリーから持ちかけられたとき、
わたしも正直、戸惑った。
日本の女性たちに“フェミニズムについて話しましょう”って言っても、
どんな反応があるのか目に見えている。
そもそもわたしは解っているだろうか、とか。


わたし自身、ほんとうのことを言えば
十代に入るまで、自分の意志でスカートを履いたことがない女の子で、
女の子としての自分に違和感があった。
(それは今でも残ってるけど)
真っ黒な上下ジャージにスニーカー、髪は短く、分厚いメガネ、
いつも男の子と間違われた。
“女”としての自覚も自信もなく、
かといって、男の子になりたいわけでもない。
自分の“女”という性別をもてあまし、
スカートを履いていた女の子を遠くからあこがれてみていた。
自分は変態かもしれない、と心のどこかで思っていた。

そんなわたしが女性についてきちんと考えるようになったのは、
やっぱり、3.11がきっかけだった。

あれからこの1年と数ヶ月のあいだに、
わたしは家族環境や戸籍や生活や景色が変わった。
変わざるを得なかった。
それにともなって、
自分の意志とは違うところで影響してしまうものもあることを知って、
わたしは初めて社会的に女性はどうあるのか、
ひとりの人間としてどうあるのかを考えた時間だった。
それはいまでも進行形で学んでいるけれど。


この"Food of thought"をどうしたらよいか悩んでいるわたしに、
野中モモさんが中西豊子さんの
「女の本屋(ウィメンズブックストア)の物語」を勧めてくれた。
日本の女性運動の草分けの時代、
関西に女性のための書店を日本で初めて開いた中西さん。
最初はウーマン・リブとか、80年代ぽいなあ、、
なんて読み始めたのだけど、読んでいるうちに、
「女のくせに」という言葉が平気で使われる時代、
戦時中の女性たちへの軽視、、
戦後の高度成長期での男女の格差、蔑視、
中西さんの時代の女性たちがおかれた環境の酷さと、
それに対して、傷つき怒りながらも、
逞しく、ユーモアをもって跳ね返そうとする、
生き生きとした中西さんの文章に涙がでた。
わたしは初めて、過去の日本の女性たちがどれだけ汗と涙を流して、
家庭や社会からの暴力、偏見、差別に耐え、
いまの社会に介入してきたかを知った。


わたしはフェミニズム、
日本ではウーマン・リヴ、ともよばれる運動を
大きく誤解していた。女性でありながら。

1970年の国際反戦デモのなかには、
「女性解放」を掲げた女性だけの隊列があったという。
それが日本で最初のウーマン・リヴ運動だということを、
わたしは初めて知った。

これは驚いたけれど、記憶を紐解けば、
そういう闘う女性たちは時代時代に何人もいて、
わたしは彼女たちに時代や場所を超えて、
とても近しいものを感じている。

米軍基地を取り囲んだイギリスのグリーナムの女たち、
自分たちの土地を守るサパティスタの女たち、
イスラエルのパレスティナ攻撃を非難したイスラエルの黒い女たち、
原水禁運動を始めた杉並の女たち、

そしていまは、福島の女たちが立ち上がっている。
福島の女たちだけでなくて、
いま抗議やデモや何かで動いている女性たち、
わたしの友だちもそうだ。
わたしの衝動的な抗議やパフォーマンスの呼びかけに
「やろう!」っていっしょに動いてくれた女ともだち。
そんな彼女たちにいつだってわたしは励まされてきた。


わたしが会う女性たちのなかには、
家族の反対をおしきって抗議にきている女性もいた。
パートナーに秘密にしてきている女の子もいた。
わたしはそういう女性を知ると、ひとりひとり抱きしめたくなる。
わたしは何もできないけれど、その痛みは知っている。
抱きしめて、
そしてこう言ってあげたい。
ここにあなたの夫やパートナーがいないことは
寂しいかもしれないが、悲しいことでない、
あなたは鍬を手にしたんだ。
あなたは自由だ。


そして、そんなふうに悩みながらも動いている、
七転八倒している女性たちを、
いきものとして愛おしいと思う。

デモや抗議だけじゃなくて、
ふつうの暮らしの中で、日々の生活の中で、
もがいて、土を耕し、種をうえている女性たち、
そんな彼女たちに旗をふりたい。
わたしの親愛なる友だちにも。
それとひとりでうちひしがれている、愛すべき姉妹がいたら、
その彼女にも。


みえるだろうか。

ハロー、ハロー。