わたしは初いわき。
LOFTの方が街の方たちにインタビューを撮っていますので、
街の声もあわせてぜひご覧ください。
わたしは歩きながら、ひとつの言葉を思い出していた。
いわきに行く前の日、
藤井光さんのドキュメンタリー「
プロジェクト FUKUSHIMA!」を観た。
藤井さんの初監督映画だし、
次の日の福島行きに、もういちど思い出そうと思ったから。
これまでのことを。
映画の内容は既に語られていることが多いので書かかないけれど、
この映画のあとに、
藤井さんと大友良英さん、ASA-CHANGさんらによるトークがあって、
大友さんと同じ福島出身のASA-CHANGさんの話されたことが、
わたしは胸に残った。
同じ福島でも、
いわきや福島市など地域によって原発や津波の被害の状況が違い、
いわき出身のASA-CHANGさんは、原発に対しての怒りよりも、
津波の被害に対しての追悼の気持ちの方が強くあるという。
DOMMUNEフクシマの放送で、
パフォーマンスをする、友人でもある音楽家たちの姿を観て、
自分の音楽は役に立たないと判断し、封印することを決めたとのこと。
8月15日も、プロジェクトFUKUSHIMA!には参加せず、
いわき市内で、いわきの郷土芸能である「いわき念仏踊り」に交わり、
各家を奉納して歩いたという。
プロジェクトFUKUSHIMA!に参加していたアーティストたちについて、
「ぼくは、意気地がないなと思う」と、何度もつぶやいていた。
そして、
いわき市が放射線が他の福島の地に比べて低いことについて、
わたしの記憶が正しければ、こんなことを言われていた。
「ぼくたちは、詳しく言わないけど、
比較的原発についての教育も受けてきた(と言われたと思う)から、
こっちにくれば良かったのに、風が吹いて北の方へ行ったでしょう。
ごめんねって思う。
最初、自分も冗談で言っていたんだけど、
冗談じゃないなって思った。
本心で、ごめんねって思う。
それは今でも思っている。」
、、というようなことを言われていて、
わたしは驚いた(大友さんも驚いていたようすだったけれど)。
福島の人が「ごめんね」という考えに至る不条理。
「ごめんね」って言わせるものは、何だろう。
ASA-CHANGさんだけの感じ方なのかもしれないけれど、、
わたしは重たいものが胸にずんって落ちてきた。
トークのあと、
みなさんロビーで来た方と話をしていたので、
わたしもASA-CHANGさんに、
「あした、いわきへ脱原発デモで行くんです。」と、
言おうとして言えなかった。
失礼というか、傷つけてしまうかもしれない、と思ったから。
わたしは、いわきの道を歩きながら、
ずっと、この「ごめんね」が頭から離れなかった。
わたしが、たかだか数時間いわきに居たからといって、
いわきの人々の状況や気持ちを理解できるわけでもなく、
空気も感じたか、感じないか、
手探りで帰ってきたようなものだと思う。
唯一、そこに集まったお母さんや、
原発反対の声を上げている人たちと話をするくらいしかできなかった。
それでも行ってよかったとは思うけれど、
今でも「ごめんね」が重く残ってる。
、、、「ごめんね」なんて、
あやまる必要ない、よ。
悪いのは、、、誰だーーーーーー。