2012/04/28

4.28 knock knock

抗議のあと、雨の中、
SWOON「honeycomb」展へ。

SWOONのドローイング、
手で鷲掴みするような力強さ。
みていると、胸にふつふつと何かが沸き上がってくる。
むらむらしてくる。

そして、その絵の力強さは、
社会の陰で起きた事柄を指差し、
“わたしは決して見逃しはしない”という
彼女の強い意志のようなものだと思った。


SWOONは、気さくでキュートでタフな女性だった。
作品のなかにある、美しさや優しさ、大胆さや力強さがそのまま、
彼女のパーソナリティとつながっていた。



よい展示だった。
あぁ、正直に言うと、嫉妬すらした。

わたしも、描きたくなった。
無性に描きたくなった。


SWOONのサヴァイヴ力に、
ボタンが押されたみたいだ。

2012/04/27

4.26 扉

ひさしぶりに楽器練習。
二時間くらいトランペット吹いたら酷い頭痛。
体調が相変わらずよくないけれど、
思ったよりトランペットが吹けてよかった。
Phooo.


そしてきょう、何よりうれしかったことは、
職探ししていた友だちの仕事が決まったこと。
ほんとうにほんとうにうれしい。
勝った(って何に、、?)、、!
でもそんな気分。

よかった。
よかった。
これでまたいっしょに歩ける。


あしたは抗議です。

さいきん、自分のしていることがよくわからないけれど、
とりあえず歩いてみます。

おやすみなさい。

2012/04/26

4.25 午前零時 新しい諧調

晴れたり、曇ったり。
今は、雨の音を聴いてる。

きょう、ひさしぶりに高円寺の街を歩いた。




何百人、何千人と歩くデモもいいけれど、
きょうみたいに顔のしれた人たちと、十人くらいで歩くのもいいね。
夕方の街を、おかしな一行が歩くの。
とっても間抜けで、のんびりしていた。

体調がまだ本調子でないので、ちょっと疲れちゃったけど、
気分はよかった。



あと、10日で止まるって。
5日午後5時ごろから制御棒の挿入などによる出力低下作業を開始し、
午後11時ごろに発電を停止する、
という。
午後5時から、ゆっくり炉が落ちていく。
それこそ「忌・原発」を捧げたい。
そして11時、炉が完全に落ち、
時計の針が午前零(ゼロ)時を指したとき、喪が明けるのだ。

それを見届けたい。
証人になりたい。
みなで立ち合いたい。

いまひとつの詩が浮かぶ。

4、5年前、わたしは自分の展示で、
絵を描いて飾り、ときどき朗読をしていた。
聞き手のいない、とわず語り。
それはたとえばこんな詩だった。
いま読むと、今まさに、この時、なんじゃないかって思う。

つま弾き、音が放たれ、新たな行進が始まる。
子どもたちを解放する。その音を呼ぶ、子どもたちの声がする。
そしてそれにむかう人びとの足音が聴こえる。
その、夜明けまえ。

あと、十日。



 『お前の指先が太鼓を一弾きすれば、音という音が放たれ、新しい階調は始まる。
  お前が一足すれば、新しい人々は蹶起し、前進する。
  頭を廻らせば、新しい愛だ。頭を復せば、---新しい愛だ。
 「俺たちの運勢を変えてくれ、俺たちの災難を飾ってくれ、
  先ず時間という奴をどうにかするんだ」
  と子供たちがお前に歌うのだ。
 「俺達の運と望みのとの中味を、何処でもかまわぬ、育ててくれ」
  人々はお前にたのんでいる。
  お前は幾時でもやって来て、何処へでも行くだろう。』
   ランボオ「ある理性に/飾画」 




2012/04/25

4.24 胸からいずるものは

夏のようなひざしに身体がゆるむ。
夜は、春雷。
頁がめくるように表情が変わる。



日曜日、路地と人で聴いた、
カザフスタンのドンブラという弦楽器の音が耳に残っている。
ドンブラ、カザフスタンの心の象徴のようなものらしい。
カザフスタンの家庭では必ずあって、
カザフスタンの人の五人に四人はドンブラを弾けるという。
人が集まったら誰かが弾いて皆で歌い、
悲しみも喜びも、その調べ、その詩に託されるという。
幾人、幾年かのこころのうたが、昔も今もひとびとが歌っている。

ドンブラは人の身体になぞらえて、
糸蔵は頭、
ペグは耳、
ネックは首、
ボディーは胴、
二本の弦は、人のこころの善悪をあらわし、
ことば(音)は胸(ボディーの穴)から出る、という。


音は ことば、
その奏でる人の 胸の詩(うた)。
わたしが音に託すのは、ことばにならないことば。
声にならない声。
わたしは声にも、こどばにも自信がないので、
それがゆえにわたしは楽器を手にしているのかもしれない。



トランペットを吹いてみたけど、
まだ下手っぴ。
そしてきょうは思うように音がでない。
胸が音についてこない。


けれど、沈黙も音だと、きょう思った。
休符がない調べはない。


休符にがまんできなくなったら、
音、ことば が出るよね。

それを待って、もう少し、深呼吸。


もうすぐ、もうすぐ。

2012/04/23

4.23 深呼吸

きょうはいろいろ失敗をして、迷惑をかけてしまった。

間違いが多いことは自覚してるけど、
その度に嫌になる。


心が折れないようにするのはたいへんだな。


昼からのエネルギーシフトパレードは、
いいデモでした。

2012/04/22

4.21 Don't you come down

前日にひきつづき、熱っぽさが続く。


就職探しをしているともだちから連絡があった。
なかなか面接がうまくいかなくて、
心が折れそうになっているともだちのメールを読んで、
涙がとまらなかった。
解るよ。
わたしも今まで何枚履歴書を書いたことか。
たかだかひとつの面接で落ちたくらいと思いながらも、
それが続くと、自分の存在まで否定されたような気分になってくる。
そんな気分を大事なともだちが感じているのかと思うと、
涙がとまらなかった。

わたしがいま、この部屋にいるのも彼女がこの部屋を探してくれたからで、
彼女の励ましがなかったら、わたしは去年の終わり、
何も動けず、どこかにうずくまっていただろう。
そのともだちがいま、うずくまりそうになっている。


ともだちへ。
いまの社会の就職の厳しさは、あなたのせいじゃなく社会の問題だ。
社会(企業)の評価と、あなた自身の存在とは別のものだ。
だからどうか傷付かないでほしい。
傷付かない、というのはとてもタフな作業だ。
貧すれば鈍する、それは人間としてとても不幸なことだと、
わたしの父はよく言った。
わたしもそれを今、強く噛みしめている。
そして毎日がいっぱいいっぱいで生きてるものにとって、
毎日これからの暮しのことを考えてるものにとって、
金銭的に余裕がないときに心が健全であろうとするのは、
とてもしんどいことだと思う。
闘いだと思う。
それも解って、あえて、がんばろうって言うよ。
潰れないでほしい。

この就職の不均衡や労働問題は、
今デモや抗議をしている原発の問題とつながっているとわたしは思っている。
だからデモや抗議にあなたが来られないときには、
あなたの悔しさをもって歩くよ。
太鼓を叩くよ。

けれど、あまりにがまんできないときには、
街に飛び出してきてね。
いっしょに歩こう。


どうか落ち込まないで。
どうかふさぎ込まないで。
明日には、あなたの抱えている苦しみが、
太陽の光で消えてなくなりますように。

Gene Clark One In a Hundred

Don't you come down
Don't you feel bad
Even though your dreams are of
The things you've never had


Close to the earth
Near to the sun
Reflecting your own life
You can see that you
Can be more than one


Hear the bells ring, morning has come
Over the town the morning star fades in the dawn
Voices of time bringing surprise
Voices that sing in waking moments
To look into life's eye


Aren't you glad it's another day
Look and tell
So you though you would run away
But you know that way too well


Rhythms of rhyme
Seasons shall say
To look at a longer life now
A longer yesterday
Don't you come down
You know you're the one
Looking at tomorrow
Let your your troubles
Fade and fly into the sun











4.21 農水省への手紙

食品の放射能検査「独自基準やめて」 農水省が通知
...食品の放射性物質検査をめぐって、農林水産省は20日、
スーパーや食品メーカー、外食産業などの業界団体(270団体)に対し、
国が設けた放射性物質の基準を守るよう求める通知を出した。
国よりも厳しい独自基準を設けて自主検査を実施し、
「『放射性物質不検出』の食品しか売りません」
などとする動きに歯止めをかけるのが狙いという。.....


『えーっとな?
沢山の生産者も売り手もなくした信用を回復するために
一生懸命に努力してるんですよ。
自主基準を厳しくすることで生産者の首を締めてしまうんちゃうか?
とか色々な軋轢の中でなんとか安全な食品を提供しようと。
それを「消費者が混乱するからやめろ」?
誰が混乱させとんねん、なめるな。


農水省への通知。
わたしたちはわたしたちで暮しの安全を守っていくので、
わたしたちの邪魔をしないでください。

2012/04/21

4.20 雨に叫べば

金曜日。
きょうも官邸前抗議。
毎週恒例になってきた。

そしてきょうも寒くて、最後は雨。

そしてきょうも斉藤美智子さんは来ていた。
みな、美智子さんを囲んで話をきいていた。
自分のおばあちゃんの話のように、ことばひとつひとつ噛みしめて。

「原発より先に死ねない」
30年間、美智子さんはそう自分に言い聞かせ、
がんばってこられたと言う。
そのことばはわたしたちにも向けられている。
背筋が伸びた。

そうだ、
原発より先に死にたくない。



この数日、
ちょっと熱っぽくて、ふらふらしていたのだけど、
抗議がおわったらスイッチが切れた。

怒りは体力を奪う。
怒り続けると、身体が冷える。

怒りは空腹を生むし、
空腹はさみしさを生むから、
カレーと、ヨーグルトと、苺を食べた。

スパイスの香りと果実の甘さがわたしを救う。
肉になり、血になっていく。


またあした。
おやすみなさい。

2012/04/19

4.18 大声で唄え!












↑このすてきな5月5日の全原発停止を表すデザインは、da-ruck(rack?) -反原発さんによるもの。
4.29の反原発@渋谷・原宿デモには皆さま、
おとなり、ご近所、お声がけのうえ集まりましょう。






灰色なおとなたちがあんなことや、こんなことを、
やかましく言うけれど、
それはもうすぐ、新しい扉が開くからだ。
その扉が開かないように彼らは必死だ。

だからそんな声をかき消すくらい、
その扉が開くまで、大声で唄おう。

原発はいらない。
再稼働はんたい。

2012/04/18

4.17 希望 wo 持つ

希望  wo 持つ。
希望  wa 持つ。

今日 kara あした。
わたし kara あなた。

希望  wo 持つ。

2012/04/17

4.16 希望を 待つ

この大切な大切な、
エスペラールとエスペランサのTシャツを着る季節は、
どんな景色になっているだろう。

きっと太陽のもとで 笑っている。
という未来を胸に、待つ。



希望を、待つ。
早く早く、と急かされる灰色の時間に対抗して、待つ。
待つ。
それが希望を持つことだ。

新しい世界が、こどもの日に姿をあらわすまで。



南の大陸で広く話されている言語で、「待つ」は「エスペラール」、
「希望」は「エスペランサ」といいました。
そして、考えてみれば「待つ」と「希望」は、深く関わっているようでした。
人は、希望があるから待つのだし、待っている時には、
心の中に希望が宿っているはずでした。
けれど、灰色のつくり出す世界では、「待つこと」はだめなことなのです。
人びとはいつもイライラしていて、「早く早く」「速く速く」と急いでいます。

子どもたちは、学校で急がされます。
「早く早く」「速く速く」。
じっくり答えを考えていてはだめで、早く、速く、答えを思いつくと、
先生に誉められるのです。

けれどもしかしたら大事なのはじっくり考えることなのかも知れないのです。

「要するに何?結論は?ポイントは何なの?はやく!」
灰色のつくり出す世界では、日常会話でも、相手を待たせてはだめらしいのです。
しかしもしかしたら、考えがあっちへ行ったり、こっちへ寄り道したり、
なかなか結論に行かない、
その過程のすべてが、その人の「考え」なのかも知れないのです。

(中略)

待つこと(エスペラール)が消えてゆく世界では、
もちろん希望(エスペランサ)も消えてゆきます。
人が何かを「心待ちにする」能力は衰えていって、眼の前にないものは、
ただ「ない」ものになります。
けれど本当は、眼の前にないものは、「待つ」ことのできるものだ、と思うのです。
眼の前にないものを待つことによって、
希望がふわりとその姿をあらわすのだと、思うのです。

待つこと。ただ待つのではなくて、待ち、望むこと。

『うさぎ!』(「子どもと昔話」30号/2007年)

2012/04/16

4.15 花に かんぱい

一時的に「原発ゼロ」へ=大飯再稼働間に合わず―枝野経産相
 (時事通信 4月15日)

  枝野幸男経済産業相は15日、徳島市内のホテルで講演し、
  国内で現在唯一稼働している北海道電力泊原発3号機(北海道泊村)が
  5月5日に定期検査入りするため、
 「(原発の稼働は)5月6日から一瞬ゼロになる」と明言した。
  経産相が運転中の原発がいったんゼロになるとの見方を示したのは初めて。
  枝野経産相は関西電力大飯原発3、4号機(福井県おおい町)の再稼働について、
  14日に福井県やおおい町に協力を要請したばかり。
  地元などの理解を得て再稼働するには相応の時間がかかるため、
  一時的に原発ゼロとなることを認めた形だ。
  その上で経産相は「後戻りせず一直線に原発を減らしていく」と説明。
  さらに「半年、1年だけ原発がゼロになっても、
  また原発に依存してしまうのでは仕方がない」とも述べ、
  原発依存からの脱却を着実に進める考えを強調した。
  一方、今夏の需給については
  「原発がないと相当いろいろなところに無理がくる」と指摘。
  関電大飯原発3、4号機の再稼働について、
  いずれ地元住民や国民の理解を得られるとの見方を示した。


、、、、!!!!
一日、一日で、政府の言う事は変わるし、
まったく信用していないのだけど、、、
しかも「一瞬ゼロになる」って表現なんなんだ?って感じだけど、
このニュースはやっぱりうれしい。
やったーーーーーーーーーーーーー。
まだ原発稼働がゼロになるだけで、
廃炉になるわけではないので、本質的にまだ喜ぶには早いのだけど、
今までのことを考えると、稼働ゼロになるということだけでも、
大進歩だし、ひとつの成果って言ってもよいでしょう?
ね???

3.11以降、いっしょにデモで歩いた人たち、
抗議でいっしょに立った人たち、
わたしと違うところでデモで歩いた人たち、
抗議をしていた人たち、
N.Yでデモしていたともだち、
世界で連帯してくれてた人たち、
とにかくみんなで、これをまず喜びたいよ。
すごい、ってことにして、喜びたいよ。

ひとあし先に、
きょうは杉並デモの「有象無象の宴」=お花見会で、かんぱい。



原発ゼロまで、あと20日。







2012/04/15

4.14 THE NUCLEAR ERA IS OVER!




















「民意」@DJ KENT
13日の首相官邸前抗議にて。

DO NOT KILL USのプラカードはわたしが掲げたもの。

となりには、
THE NUCLEAR ERA IS OVER!の文字をもつ人。

最初、ジョンとヨーコのWAR IS OVER! をもじって、
THE NUCLEAR WAR IS OVER!
かと勘違いしていたけれど、
原子力時代は終わった、という意味なのね。

けど、
THE NUCLEAR WAR IS OVER!
イコール、
THE NUCLEAR ERA IS OVER!
でしょう?


きのうの再稼働妥当の判断は、
国が国民に宣戦布告をしたのと同じだと思う。
国民を見捨てる宣言。

THE NUCLEAR WARが、日本で巻き起こってる。
遠くの街や、わたしの身近なところで。

そして目下のところ、戦場となっている福井。
まだきょうは、その決着がつかなかったよう。
<大飯再稼働>「福井の貢献理解されず」…知事が批判
(毎日新聞 web 4.14 )

けれど、田中龍作ジャーナルを読むと、
(田中龍作ジャーナル)
その闘いの前途多難さにため息がでる。
uuuu.....一筋縄ではいかない。



けれど、みよ、
福井にて、たくましく闘っている人たちがいる。
























まだまだこれから。

いまにみておれでございます、だ。


THE NUCLEAR WAR IS OVER!
THE NUCLEAR ERA IS OVER!

THE NUCLEAR WAR IS OVER!
THE NUCLEAR ERA IS OVER!

THE NUCLEAR WAR IS OVER!
THE NUCLEAR ERA IS OVER!






2012/04/14

4.13 KEEP ON FIGHTING

夜、官邸前抗議。
官邸前で政府の再稼働妥当判断のニュースをきく。
怒声が巻き起こった。

3.11以降、
これほどまでに胸がかきむしられたことはない。
怒りや悔しさで、涙が雨のように流れ、涙のような雨に濡れた。

あれ、を潰したい。
どうしたら手が届くのか。


きょう、
わたしの抗いのモチベーションはどこから来るのか、
と、友人から問われた。

わからない。
わたしはモチベーションもなく、
むしろ絶望すらしてるかもしれない。

けど、黙っていられない。
条件反射みたいなものかもしれない。
絶望を絶望としていることに抗いたいのかもしれない。


抗議が終わったあと、
気持ちがおさまらず、やり切れず、帰れず、
立ちすくんでいたら、
隣に立っていたECDさんの「また来るぞ」っていう声が聞こえた。


そうだ、
ついこのあいだ、
わたしは自分の口でフレディのメロディに乗せて歌ったばかりじゃないか。

もう あとにはひかない
闘いはこれからも続く



また来るんだ。
きょう聞いた、多くの声とともに。

2012/04/10

4.9 再稼働するな

安全基準に「適合」=政府、再稼働判断へ―大飯原発3、4号機】時事通信





























4.9 はるの あそび



デモもおわって、
きょうもあたたかで、
ちょっとひとやすみ。


気づけば、たんぽぽもスミレも咲いている。
見失うところだった。

最近、ちょっとオーバーヒート。

同じ目的や、志や、理想や、
そういうものをもちあわせているのに、
摩擦が起きる。

大きなものや、
未来や、
そんなものはもっと先にあるのに、
自由をもとめていたはずなのに、
自ら暗示にかかり、呪縛の罠にかかる。
自由でなくなる。
それはいちばん悲劇だ。

わたしも時にふと、視線を外さないと、
他の世界がみえなくなりそうで恐い。
そういうときは、やっぱり外に出て、歩いてみることだ。

自分を外の大きな世界におくことだ。

ほかの引力を感じることだ。

とくにこんなに、うららかな春の日は。







4.8 いわき にて。

福島、いわき でのデモ
わたしは初いわき。

当日のデモのようすはこちらから。
LOFTの方が街の方たちにインタビューを撮っていますので、
街の声もあわせてぜひご覧ください。



わたしは歩きながら、ひとつの言葉を思い出していた。






いわきに行く前の日、
藤井光さんのドキュメンタリー「プロジェクト FUKUSHIMA!」を観た。
藤井さんの初監督映画だし、
次の日の福島行きに、もういちど思い出そうと思ったから。
これまでのことを。

映画の内容は既に語られていることが多いので書かかないけれど、
この映画のあとに、
藤井さんと大友良英さん、ASA-CHANGさんらによるトークがあって、
大友さんと同じ福島出身のASA-CHANGさんの話されたことが、
わたしは胸に残った。

同じ福島でも、
いわきや福島市など地域によって原発や津波の被害の状況が違い、
いわき出身のASA-CHANGさんは、原発に対しての怒りよりも、
津波の被害に対しての追悼の気持ちの方が強くあるという。


DOMMUNEフクシマの放送で、
パフォーマンスをする、友人でもある音楽家たちの姿を観て、
自分の音楽は役に立たないと判断し、封印することを決めたとのこと。

8月15日も、プロジェクトFUKUSHIMA!には参加せず、
いわき市内で、いわきの郷土芸能である「いわき念仏踊り」に交わり、
各家を奉納して歩いたという。

プロジェクトFUKUSHIMA!に参加していたアーティストたちについて、
「ぼくは、意気地がないなと思う」と、何度もつぶやいていた。


そして、
いわき市が放射線が他の福島の地に比べて低いことについて、
わたしの記憶が正しければ、こんなことを言われていた。

「ぼくたちは、詳しく言わないけど、
比較的原発についての教育も受けてきた(と言われたと思う)から、
こっちにくれば良かったのに、風が吹いて北の方へ行ったでしょう。
ごめんねって思う。
最初、自分も冗談で言っていたんだけど、
冗談じゃないなって思った。
本心で、ごめんねって思う。
それは今でも思っている。」
、、というようなことを言われていて、
わたしは驚いた(大友さんも驚いていたようすだったけれど)。

福島の人が「ごめんね」という考えに至る不条理。
「ごめんね」って言わせるものは、何だろう。
ASA-CHANGさんだけの感じ方なのかもしれないけれど、、
わたしは重たいものが胸にずんって落ちてきた。


トークのあと、
みなさんロビーで来た方と話をしていたので、
わたしもASA-CHANGさんに、
「あした、いわきへ脱原発デモで行くんです。」と、
言おうとして言えなかった。
失礼というか、傷つけてしまうかもしれない、と思ったから。


わたしは、いわきの道を歩きながら、
ずっと、この「ごめんね」が頭から離れなかった。



わたしが、たかだか数時間いわきに居たからといって、
いわきの人々の状況や気持ちを理解できるわけでもなく、
空気も感じたか、感じないか、
手探りで帰ってきたようなものだと思う。

唯一、そこに集まったお母さんや、
原発反対の声を上げている人たちと話をするくらいしかできなかった。


それでも行ってよかったとは思うけれど、
今でも「ごめんね」が重く残ってる。





、、、「ごめんね」なんて、
あやまる必要ない、よ。
悪いのは、、、誰だーーーーーー。

2012/04/07

4.6 壁の前の たまごたち

きょうの官邸前。

















ブライアン・ホーみたいな
斉藤美智子さんの帽子。

わたしは、斉藤美智子さんの
原発のはなし」(ATMOMIC SIET TV)を訊くたびに、身が震える。
悪魔の代名詞、プルトニウムを生み出す原発の恐ろしさと、
それを生み出した人間の業の深さと、
そしてそれをなくすための人間の壮絶な闘いに、鳥肌が立つ。


<大飯原発>再稼働、来週にも要請…判断基準決定 閣僚会合






































「日本を、返せ。」
by 281_Anti nuke



日本の政治家のみなさんへ。

たまごたちが悲鳴をあげて壁にぶつかって割れていくのを、
このまま黙って見て見ぬするつもりですか?

このままだとこの国には誰もいなくなります。
原子力ムラを残して。


(ぼやき。
 原発ZEROたまごが生まれるまで、
 毎日がたいへんそうだなあ、、、)





4.5 LIFE LIVE LOVE

よろこびは、わが胸に。
そして誰かの手へ。
わたりゆく時間。
過去から未来。
光。
生きる。






2012/04/04

4.4 Swinging DAY

あらしのあとは、すばらしい晴天。
きのう、
木の陰、土の中、家の中に身をおいていたものも顔をだす、歌いだす。
そんな日。

浮いたり、沈んだり、
飛んだり、転んだり、
きょうもスキゾ・キッズで ゆこう。

4.3 あらしの夜に















異常な低気圧、竜巻に、落雷、ヒョウ、、
自然が暴れた、あらしの日。
身を屈める。

風や雨の轟音に、恐ろしくて不安になってもなお、
ふしぎなことに、荒ぶる世界をみていると、
どこか救われるところもある。
これはなんだろう。

いつも晴れてる日もない。
いつも穏やかな海もない。
降っても晴れても、この世界で泳いでいる。泳がされている。
そういう自分ではどうしようもないこと、
そういう力に身を預けること。

なので、凄まじいハリケーンのなか、
掃除をしたり、楽器をふいたり、
そして借りた「災害ユートピア」の続きを読む。


「わたしたちの言語には、こういった感情
 —悲惨さにくるまれてやって来た素晴らしいことや、
 悲しみの中の喜び、恐怖の中の勇気—を表す語彙すらない。
 もちろん災害を歓迎することはできないが、
 それへの反応を、実質面と心理面での両方でありがたがることはできる。」

両義的で複雑で、正義ではなく浅深な世界、
災害というか、自然そのもの。
そして人間も自然の一部だと、つくづく思う。

不安定で暴力的な世界の中に、
強い変わらない尊いものが露になることもある。
そんなことをおしえてくれる、あらしの夜。
毎日ではつらいけど、時にひつような時間。





4.1 嘘と真実

4.1脱原発デモ『エイプリルフール・デモンストレーションinくにたち』
(わたしの歌はひどいので映像をみる勇気はありません)


エイプリル・フール。
一年に一日だけ、嘘をついてよい日。
けれど、
こんなに毎日出来損ないの小説のような嘘があふれる今、
嘘がない日の方が特別だろう。
同じ嘘でも、
じょうずな嘘をつくには真実を知らねばならない。

ある小説家のことばを借りれば、じょうずな嘘をつくには、
私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません」。


先日のレベッカ・ソルニットの来日講演
《災害ユートピア》論から検証する3.11」で、
パネリストの佐藤泉さんが言われたことが、
わたしは誰かと会うとき、話すとき、常に胸にある。


「…今までわたしたちはリアリティを奪われてきたと思います。
原子力社会というのは、全面的に検閲社会だったと思います。
原発が54基もあった、そういうことを自分の不勉強もあったけれど、知らなかった。
未来のエネルギー、クリーンなエネルギーというキャンペーンがありました。
あの中でわたしたちは自分たちのリアリティを奪われてきたと思います。
そしてもうひとつ、現在のリアリティもです。
54基あったうちの、今(2012.3.12現在 動いているの)は、
あとふたつでしょう?
わたしたちは脱原発の価値というのを既にここまで実現してきました。
そこにリアリティを与えるまい、と今マスメディアは動いているように思います。
なので、マスメディアに語られてしまうのではなく、
自分たちの価値と自分自身の姿を映し出すような、
そういうリアリティをわたしたちは自分たちで作っていく、
そのために感性の組織化が重要だと思います。」

「わたしたちは、最悪な記憶の中からでさえも、
何かを取り出すことができなければ、
わたしたちは文化というものをつくっていくことはたぶんできないのでしょう。」
「立ち上がったユートピアがわたしたちの生活に定着していくのか、
それともほんとのつかの間のユートピアして忘れ去られてしまうのか、
それはわたしたちの文化や感性の力にかかっているのではないか。
わたしたちは(3.11を通じて)この間、
大変美しい「怒り」の感情というのを目の当たりにしました。
デモの中でわたしたちの怒りの姿を仲間の中に映し出す、
それによってわたしたちは自分たちの感情をやっと理解する、
そんな流れもあったと思います。」
「感性の組織化というのはどれくらい豊かに怒ることができるか、
どれくらい豊かに悲しむことができるか、
それを個人でもなく、仲間の哀しみのうちに、
自分の哀しみを映し出すような形で、
文化による連帯/共同性の感覚というのがどこまでできるか、
それにかかっているのだと思います。」
(2012.3.13 佐藤泉「レベッカ・ソルニット来日講演 《災害ユートピア》論から検証する3.11」



デモや抗議で人びとと、友だちと顔を合わす。
気のおけない友だちたちと楽器を練習したり
飲んだり、食べたり、散歩したり。
そんなことをしながら、
わたしは自分の感覚と感情とを再発見しているのだと思う。
デモや抗議で、旗や楽器や その他思いついた何かをするとき、
わたしはそれを自己表現としてではなく、
できるかぎり他表現でありたいと思っている。
(自分がいかに他を表現できるかということ)
なんだろう、巫女みたいなものかな、、違うか。
実際、巫女のバイトをしていたことがあるからそう思うのかもしれない。
わたしの性格によるものだろうけど、
わたしはわたしの感覚を信じていない。
思い込みや間違いがあるし、そもそも不安定であるから。
そして我が強い。
だから信じないようにするくらいがちょうどよいと思っている。

だからデモや何かのときには、
わたしがみている世界と、
(映画の切り返しショットのように)誰かがみている世界を照らし合わせ、
わたしたちの真実はどこにあるのかを探り、
確認し、確かめ合い、支え合う。
互いのなかに歓びをみつけ、
歓びのなかに哀しみをみつけ、
哀しみのなかに怒りをみつけている、
そんなことをしているのだと思っている。

佐藤さんの言葉は、
そんなわたしがもやもやしていた部分を代弁してくれたように思えて、
わたしはうれしくて、涙がでるほどだった。

そして嘘の日の4月1日、
何が嘘かを確かめるために、
この日はわたしは、真実だけを口にした。
いま在るリアリティはこれだ。
この日、たしかめ合った真実はこれだ。


手をとり 立ちあがれ
さあ、あとは 泊 ひとつだけ。

もうひとつも 原発は 動かさない 動かせさせない
もうあとには ひかない
闘いはこれからも続く

みんなで廃炉
みんながチャンピオン 
みんながエナジー
原子力はいらない


、、って書いたことが全部が全部、嘘かもしれない。
ほんとうかもしれない。
それはわたしだけでは決められない。
わたしたちが決める
、、、これは真実でしょう?