2013/10/20

10.20 → 7.11 あとのまつり

三ヶ月前の非公開で書いた日記、いまごろ公開します。
なぜ今なのかは「デモ」ってなんだろう?っておもうところがあったので。
以下、文章は7月11日に書いたもの。



“世界のなかで
 夢みるひとたち 
この道に出よう 
 いっしょに行こう”

二週間経ってもこのデモがどんなデモだったのか
うまく説明できない。
“君たちのデモはデモじゃない”
と警察からは言われたけれど、
そうかもしれない。

この日韓国から来たYAMAGATA Tweaksterが
日本語で唄ったこの歌詞が
どんなデモだったのかを代弁してくれている。

なんていい歌なんだろう。

わたしは自分の前をゆく、
踊るひとたちの群れをみながら
この歌をきいたとき、ぽろぽろ涙が出たが、
それはうれしいとかかなしいとか、そんなものじゃない、
べつの次元のものだったとおもう。


この日、ヤマガタは夜からのライヴのリハ、
ぎりぎりまで歩いてくれた。
前日も反自民党デモでいっしょに歩いた。
彼は日本でライヴとデモで駆け巡っていた。

野暮なことを書けば、
パフォーマンスをしていないときのヤマガタは
派手なパフォーマンスと奇抜なファッションのイメージとは別人のように
もの静かな方だ。
最初、彼があまりに静かに集合地点に立っているので、
ヤマガタだと解らなかったほどだ。

この日、在特会の反韓デモがあり、
新宿の街は警察の警備で騒然としていた。
韓国から来たヤマガタや、ヘミちゃんや、イ・ランちゃんらが
デモで歩くことについて、わたしたちはすごく心配した。
自分たちはともかく、彼らに何かが起こることだけは避けなければいけない。

出発前の公園も厳重な警備に囲まれてしまった。
そんなようすをじっとみつめていたヤマガタの姿が記憶に残ってる。
ヤマガタにどうしてきょうはこんなに警備があるのか、
これから排斥デモがあるからだ、なんて言いたくなかった。
でも彼は日本で何が起こっているのか知っていた。
それでも韓国で福島のためのデモをしたり、
こうして日本でいっしょに歩いてくれたのだった。

飛び跳ねる人の群れ。

サウンドカーが出るサウンド・デモで
サウンドカーが追い越されるのを初めて観た。
車を追い越して歩くひとたち。
いつもは先頭を歩くデモバナーも数分で抜かれた。
そんなふうでよかった。
あれは本能なんだ、
生きるひとの。


デモのパーティでは、いくつかの文章を読んだ。
せっかく盛り上がっていたパーティに水をさしたかもしれないけれど、、
わたしは昼間の鮮やかなデモの背景をわたしなりの言葉で伝えたかった。
あのとき、いろいろな反応があってそれを租借している。

声かけてくれた人、ありがとう。
すこしずつ、お返事を返していきますから、
待っていてください。


2013/07/07

7.7 日陽はしづかに発酵し





蒸し蒸しして
発酵す


この数日格闘している酒種酵母造り
ちゃんと酵母できるかな



2013/06/28

6.28 わたしをすくえ われらをすくえ


“いろんなこと見て見ぬふりしてきたからこのままじゃ私もこういう風に死ぬ。
と思える人同士で仲良くしたい
DJパトリックの死から感じること(ジュン☆中山”

momononaka twitter 2013年4月18日20:41


今年の4月、ひとりのDJが亡くなった。
そのことを知ったのは野中モモさんのツイートからだった。
わたしは生前の彼のことを知らないし、もちろん会ったこともない。
けれど彼の死からいくつかの連鎖がみえて、
心を揺るがされたこと。

ジュン中山さんによると、
“パトリックは、HIVポジティブだったけど、
彼の最終的な死因は「貧困」により命を落としたのではないだろうか。
HIVポジティブの問題の他、ひざを痛め歩行が困難とか
仕事の収入がなくなり、貧困に苦しんでいた。
そのストレスにより、病状がますます悪化したのではないだろうか”と。


“朗報も訃報も facebookで知る
こうして 今思っている事を みんなに知ってもらう事が出来る
とても 便利だから わたしも便利に使っている
便利だから 無視する事も出来るし乗っかる事も出来る
関わっている様で関わらない 関わりたいと思いながら躊躇する
本当は気持ちも覗かれてるのに 全てバレてるのに
察していたのに 気付かないフリを わたしはしたのです
「無理」って いったいどこまでが わたしにとっての「無理」なのか
過ぎた事はしようが無いけれど
「これから」があれば 何か取り戻せる事もあるかもしれない
色んな事が頭を過る



このままじゃ私もこういう風に死ぬ。
ぞくっとした。
同情とかそんなじゃなくて、
自分もそうなるかもしれない、って思えたから。


日曜日に “SaveMe, SaveUs”というデモをすることにした。

SaveMeデモのきっかけは、
昨年11月、高円寺のなんとかBarであった、
韓国のコヌーくんの救済イベントでの話しがきっかけだ。

コヌーくんは釜山のアジトというアートスペースのメンバーで、
日本に友だちも多い。
そのコヌーくんの家が爆発して(説明省略)無一文になってしまったので、
Saveコヌーということで、救済イベントが開かれた。
コヌーくんやアジトに集う人やその周辺の人たちは、
再開発や原発や米軍基地問題、云々、、
日本と似たような問題を抱える韓国の社会で、
音楽や美術を通じて、タフで伸びやかな運動をしている。
なんだかわたしのいる状況ととても似ている。
他人の気がしない。
放っては おけない。
コヌーは救われなければならない。

なので自分のできることを、、と思って、
わずかばかりのお金を出そうとするけれど、
自分のその手の血の気のなさに、眼が醒める。

原発やら、TPPやら、基地問題やら、憲法改正、ダンス規制やら
気の滅入ることばかりで、デモもするけど、だからどうってこともなくて、
生活は苦しくなっていく。
実際、お金はどんどんなくなっていくけど、
お金の問題だけでもない。

気がついたら、
わたしのすきな場所、人が心を病んだり、消えていってしまう。
がんばっていた人がいなくなる。
そんなことが身につまされる。
そして わたし自身もすり減っていく。
うすくなっていく。
そのうち夜の闇に消えてしまうようにも思えたり。

わたし、孤独死するんじゃないかな、
ふと、そう思う。


コヌーは救われなければならない。

パトリックも救われなければならなかった。

大阪で助けてとすら言えず餓死した親子も。

わたしも救われたい。

わたしたちは救われなければならない。


このデモが何のためのデモか解らないと人は言う。
嗤う人もいる。
それが健全な反応なのかもしれない。

それはそれでその人はよいのだ。
とてもラッキーなことだと思う。

これは生きづらさを抱えた人間の「生きさせろ」という叫びなのだから。

そして、すくえと言いながら、
救いを乞いているわけではなくって、
助けてって言いたいってことなのだと思う。
言っていいんだってこと。

いま言えなくなっている人が、
わたしのようないい加減な人間が助けてって言ってるのをみて、
あんな奴でも言ってるんだから好き勝手に言っていいんだって思ってほしい。

強いものが弱いものを叩くのは悲劇だけど、
弱いものがより弱いものを叩くのは地獄だ。

わたしも我慢しているだから、
あなたも我慢しろと、弱いもの同志が口を塞ぎ合う。
そして沈んでいく。
そんな世界って、何なの。


同じ日、同じ場所、同じ時刻に、
反韓排斥デモが新宿である。

そこで呪いの言葉を吐く彼らにもわたしは同じことを思う。
同じ日にあるふたつのデモは、すごく対照的にみえるけれど、
わたしは根はつながっていると思ってる。

排斥の言葉自体は許されるべきものではないけれど、
人を貶めることでしか自分の足下を保てないなんて、
なんて救われてこなかった人々なんだと思う。
自分の存在の軽さに耐えられないんだろう
歪まされたんだろう
屑と言われたんだろう
死ねと言われたんだろう
だから殺せと言うんだろう

わたしは呪いの言葉は人を殺せることを知っている
だからわたしは屑とか死ねとか、どんな酷い奴でも死んでも吐かないが
彼らには差別という毒しか残されなかった
毒は中毒となる
それがあれば救われるという幻想
毒は手放せなくなる
彼らこそ呪いの言葉を吐く前に救われるべき人々だったのだ。

そこを歩かないで、
こちらを歩いたらよいのに。
誰かを殺せという叫びも、
わたしをすくえという叫びも、
生きてるだけですばらしいという歓びに変わればよいのにと思う。
そのために歩く
わたしを曝す
呪を祝で覆す

いつか彼らがこっちの路を歩くようになればいい


わたしをすくえ
われらをすくえ



6.26 Where Water Comes Together With Other Water






 


ここが囲われたものでないのなら

この川も いつか

海に流れつくでしょう







2013/04/24

4.24 アフター・ダーク

わたしは何か描くとき、
ひとつの同じ話を
何度も何度も描いたり、
同じ絵を何度も何度も描いたりすることがある。
この絵もそのひとつ。
絵でなくて、この木。
ある一本の木。
“アフター・ダーク”と呼んでいる。

自分の木、
わたしの木は、これかもしれない。

6年前に初個展をしたときにも描いた。
とわ ず がたり   -TOWA   Z  GATARI


葉の茂みの闇から、木は始まっている。

その闇に吸い込まれそうになる。
闇をみてると、葉が伸びてくる。
白い葉にいつのまにか包まれる。
黒と白が反転し合う。

それを毎回描こうとするのだけど、
絵がおいつかない。
だから、また描く。



アフター・ダークは、
村上春樹の小説から。

村上春樹に狂っていた20代、
ねじまき鳥でショックを受けて、
この人はこれ以上の小説は書かないだろうと勝手に決めつけて、
読まなくなってしまった。
当然、そんなことはなくて物語は続いた。

リハビリのつもりで読んだアフター・ダーク、
光と闇が交換する話。

わたしの木もそれを語ってる。










































2013/04/15

4.14 By This River








風は強いけど、
日差しはあたたかい、四月

緑のこどもたちが 畑でかしこまって並び、
桃色のドレスが回転する
あれはフラメンコ

友だちがふらふらと楽器やおやつを持ってあつまり、
テントを立てる

野の原だ 
ここは

ドリーム・キャッチャーの枝
多摩川の水面
寝ころべば青
川と木と空の三角

少しずつ太陽は傾き、
燃えるオレンジ
音もしっぽがのびて 流れ星
コウモリがうたう


ゆけゆけ、
と、
太陽がわらう


流れよ、
と、
川はいう



その路へ、
と、
月がささやく




多摩に住むようになってよかったと思うのはこんな日。















2013/04/09

4.8 こどくの はんたい



誰もいない
でこぼこ道を歩いてく
からの水筒も
こんなに重いと思うのに
俺の背中に
こだまする人々のあの歌が
喜びの歌じゃない
追放のあの歌
きのうは俺も
いっしょに歌ってた

俺の背中に
こだまする人々のあの歌が
喜びの歌じゃない
追放のあの歌
きのうは俺も
いっしょに歌ってた

こんなに暗く
長い道の真中で
あけてしまった
かんづめを又 ながめ
救われたと信じても
煙草の煙が教えてる
休みの国はまだ遠い
静けさなんてないんだと

まだ聞こえている遠い追放の歌

作詞 高橋照幸
作曲 高橋照幸





“孤独”の反対をずっと考えている。
連帯、団体、家族、、
どれも違うような気がする。














2013/03/03

3.3 ふゆと はるの あいまの よるに

はるのあしおとが近づく。
それでもまだ心が冷える夜、
おもうことはこんなこと










































"everything was beautiful and nothing hurt"
-Kurt Vonnegut




第二次世界大戦で、
ドレスデン爆撃を体験したヴォネガットが
こんなふうにいう夜は、
それはきっと、とってもよい夜なのだろう。

傷付いた人に必要なのは
癒しでなくて、慰めだと思う。

そんな夜につつまれてみたい。







2013/01/03

HELLO 2013


 
 
あけましておめでとうございます

こんにちは、新しい年

終わりから始まり
... いのちの輪がめぐる

Life is a circle.

いのちの輪っかはどこから始まりで、どこが終わりかわからない
その営みの連なりのなかで世界ができあがってる
わたしもそのひとつ

そうしてきょうもまた、同じように時間がながれてく

波にのったり、揺られたり
手をつないだり、話したり

ことしはどんな軌跡を描くだろう

ことしもどうぞ、よろしくおねがいします