2012/05/29

5.29 まだ、戦争には間に合いますか?

あした、仕事の都合を無理矢理にでもつけて、
この映画を観に行きます。




“世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、
世界から戦争がなくなるのにな。” 山下清


わたしは、
尾道三部作も「HOUSE」も「青春デンデケデケデケ」も
「異人たちとの夏」も「はるか、ノスタルジィ。」も、
とにかく大林監督の作品を愛しているが、
なぜこんなにもすきなのか自分でも説明ができなかった。

観ると無償に胸がかきむしれるような、
うつくしい幻想をみる薬を飲んだような、
夢みるような、哀しいような、やさしいような、
そんな気持ちになる。
それが何なのか、きょう、DOMMUNE の放送を観て、
大林監督の ことばで聞けた。
すべてはこちらの命と、あちらの命との交わりについての物語で、
ある時は時空を超えたり、転生したり、交換されたり。
いきとし、いけるもの(人間性)と、あちらのもの(デモニッシュなもの)とを
合わせ鏡のように同時に描いてるからなのだろう。


そして、2011年に3.11が起きた。


“ぼくらは平和を買うための経済戦争の中にいる。
 この戦争の世紀に平和を信じることはスキャンダルなこと。
 現実に過剰な信頼をもつというのは、
 現実に大嘘をつくのだから、とてもデモニッシュなこと。
 けれど誰もが爆弾より、花火を作りたい筈だ。
 それを信じさせるのが、映画、音楽、文学、、。
 それが戦争をとめる力だ。”
(大林監督のことばを勝手に集約)



大林監督は、番組の終わり、
手で I LOVE YOUのサインを見せて笑った。

5.28 ディストロ・フィーバー

きょう知った翻訳小説を本にするプロジェクト“ 26 to 50”、
とてもよい取り組みだな。
26to50 は、アルファベット26文字を日本語50音に移しかえるという意味。

小説も、なかなかおもしろそうなものが揃っているので、
今度読んでみよう。
ここからいくつかの本がうまれるといいね。

そして作品だけじゃなくて、
座談会「スチームパンク・ミュージックをめぐって」、
とても面白い。

どんなにいいもの作っても、描いても、
それを他につなげる流通が腐っていたら
そのものも死んでしまう。
わたしの作っているジン「よりみち」も、
快く置いてくれるお店や、扱ってくれる「Lilmag」、
福岡の反転地をメインにした「SHE SAYS distro
そんなひとたちの熱意で、
この本ともいえない小さなジンが廻ってる。

こんなふうにつなげてくれる人の意志と行動が、
健全に、巨大なシステムに邪魔されず 人の目に触れますように。


「...大手出版社から出てメジャー流通にのっている本だって、 
 たいていは個人の意思と誠意で作られているもの。 
 そのシステムを利用して大勢に届くのならばそれに越したことはない、
 という考え方もある。
 とはいえ、何か伝えたいことがあるときどこも通さずに自分で発信することができる、
 してしまえばいい、というアイデアはとても魅力的。 
 分業化・専門化が進み、また強いものがより強くなり富めるものがより富む時代に 
 人の心を助けるのはそういうものなのではないか。 
 数人、数十人、数百人が共有する特別な体験がある。...」   
 Lilmag








2012/05/25

5.24 沈黙をやぶる音


























読みたい本は山ほどあるけど、読んでみようか。
良心のトランペット』。
世紀のワシントン大行進のその後、
人種問題から反戦の国際的連帯へ声をあげた、
マーチン・ルーサー・キングの最後のことば。




“アメリカ黒人の公民権運動は、
あの輝かしいワシントン大行進で絶頂期をむかえたあと、分裂し、
暗い暴動の季節にはいった。キングは、大都市のスラム街で、
社会の最底辺にあえぐ大勢の貧困者や怒れる青年たちと生活をともにするうち、
社会に暗黒の行き詰りをもたらしている一連の問題の解決を阻むものに目を開いた。
彼が日夜とりくむ国内の闘争における非暴力と、
戦争という国際的暴力の否定とは、ここに一直線上につながった。

キングは〈沈黙に終止符を打ち、良心に従って〉ベトナム戦争反対に踏み切った。
政府とのあいだの調停者的役割を捨てて対決姿勢をかため、
さらに、アメリカの戦争政策のもとに同じ運命におかれている
他国の貧しい人々との国際的連帯をめざしたとき、彼の暗殺は時間の問題であった。
遺著となった本書は、現代が直面するもっとも切実な課題
――人種差別、貧困、青年の疎外、非暴力と平和をめぐる講演集であり、
非暴力運動による世界平和の実現を訴える、キング師最後のメッセージである。








2012/05/24

5.23 震えるアンテナ


....
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
(『汲む』一部/茨木のり子)


首のリンパ線が腫れて痛む。
ああ、この季節だったと思う。
小学校の頃から、この季節は腫れるのだった。
なにがどうなって反応してるのか、まったくわからない。
けどそういう身体のタイミングなのだ。


最近、体調がよくなかったり、
疲れがでたりであんまり動けなくて思ったのだけれど、
元気がないときは元気がないままでいるのも、
苦しいときは苦しいと言うのも、ひとつの勇気なのね。

人に何かを頼めないのも自分の弱さの表れというか。
甘える強さがないというか。

「バテてたときは堂々とだらけたらいい」って、
ともだちが言ってくれたけれど、ほんとそうだ。
のびのび明るくなったり、暗くなったりしよう。


、、と同時に、
何かわたしの行動で何か反応があったとき、
少なくとも、自分で腹を括って行動していることについては、
その責任というか、
自分の言葉で説明できるような強さを持ちたいなと思った。
(これはここ最近、自分の行動をめぐる反応について強く思うこと)


強さと弱さ、
まったくなんで自分はこんなにバランスが悪いのだろう。
そんなところがつくづくいやになるけれど、
震えるアンテナもなにかの仕事や技に作用しているのだろう、
とおもって気を休める。


がんばって のんびりいきまっしょい。








5.23 no need to say anything



“ゲームのルールは変化せざるを得ない。
それは永遠のサイクル、または悪循環のなかにある。
ゲームはルールによって成立するのか。
それともゲームがあるから例外が生まれるのか。
だが共有された規則はどれも
ゲームの存立の決定要因にはならない。
個別のルールがプレイヤーに従うこともあるだろう。
「やってしまったほうがよい」
「やっておくべきだ」
「やらなければならない」
……採用すべきものはどれでもない。
共通の座標系は不可知の中で浮遊している。
治療はあくまでも修理に似てしまう。
確認されたからといって認知されたことにはならない。
名づけてみても語ることはできない。
予測できたとしても解明できたわけではない。
あるがまま揺れ動くものがあることはわかっている。
だから揺さぶってみることにする。”
―― 佐藤薫

2012/05/23

5.22 まもりがみ







































ひさしぶりに片目のモモちゃん(仮称)に会った。
少し痩せていたけれど、ちゃんと覚えていてくれてすり寄ってきた。

“調子はどう?”




四月のような寒さの中を、
母が、嵐のようにやってきて嵐のように去っていた。
梅干しと、少しばかりのお金を置いていった。


このお札は、お守りにしよう。
人がくれたものにはその人の力が宿っているってきくけど、
きっとそうなのだ。
もの言わぬ、守りがみ。

2012/05/22

5.22 愛はきらめきの中に


I love this beautiful song so much.
The world will miss U.

R.I.P  Robin. 






“僕らは
僕らを押しつぶす
愚か者たちが住む世界に
住んでいるのだから
そいつらが僕らを
放っておいてくれたなら
僕らは君と僕、そのものなのに。”







2012/05/19

5.18 ...IS IN WONDER






























微熱週間が終わって、
ようやく唇のヘルペスも治ってきた。

これでトランペットもちゃんと吹けるかな。
よかった。


午後の雹や、
深夜の突然の雨や、
暗闇に轟く雷、
そして地震。
なんだか大地が揺れてるね。
わたしの古アパートも揺れる。



"The Meaning is in the Wonder"

意味は 驚きのなかにある、かな。






いつか降った雨のあとの虹。

雨の後ろ姿は、七色だった。


"The Meaning is in the Wonder"

答えはまだ開けていない箱の中、
騒がしい未来が待っている。







2012/05/18

5.18 いま おもいだすこと

大飯原発の再稼働「近く判断」野田総理が方針示す】(テレ朝news /2012/5/18)

野田総理大臣はNHKの番組に出演し、関西電力大飯原発の再稼働について、
安全性の確保や地元自治体の理解を得たうえで近く最終判断する考えを示しました。

野田総理はまず、すべての原発が停止した現状について
「やむを得ない」という認識を示しました。大飯原発の再稼働については、
立地自治体の福井県や周辺の京都府、滋賀県などの意見に対して
可能な限りの対策は講じるとしたうえで、「判断の時期は近いと思っている」として、
早ければ月内にも関係閣僚と協議して結論を出す方針を示しました。
また、選挙制度改革について
「当面の改善について結論を出さないで会期を閉じるべきではない」と述べて、
今の国会で一票の格差の是正や定数削減を実現する考えを強調しました。



総理、お忘れかもしれませんが、



忘れないように、再掲。

















5.18 Dance is not a crime.


“YOU CAN DANCE

  YOU CAN JIVE

  HAVING THE TIME OF YOUR LIFE 

 ダンシング・クイーン/ABBA







Cyndi Lauper - Girls just wanna have fun




喜びのエネルギーにはち切れそうになっている
シンディのこのダンスがとてもすき。
だいすき。
わたしもスカートを翻して、路を踊りたいと思う。






ダンスが規制?なにそのナンセンスな発想、、って、
鼻で笑っているうちはいいけれど、
ジョークにならない事態が進行している。
2010年から京都、大阪のクラブの取り締まりが厳しくなり始めたらしい。
今年に入ってさらに本格的になってきた。



ダンスは身体のことば、
しゃべりや歌が苦手なわたしが唯一 こころから楽しんで交せることば。
歩いても、座っていても、
音がなれば身体は揺れるし、リズムがあれば身体は弾む。


路上喫煙とか、売春、ドラッグ、アルコール類とかの規制とは訳が違う。
趣味志向やそんなものでない、身体への影響どうのとか、倫理的な問題でもない。
大友さんも指摘されているように、
人間の基本的人権、表現の自由への規制でしょう?
「表現」というより、
わたしは踊りって、笑うとか、泣くとか、そういうのと同じ、
人間の身体の表情だと思っている。
そういう人間の基本的な行動に対する規制が、
いままであったこと自体ナンセンスだと思うし、
それを基にいまこうして規制がおこっていることには断固NOOOO!と言いたい。

そして何より気持ちが悪いのは、
どうしていま、このときにそんな何十年も前の法律が息を吹き返し、
鬼の首とる勢いで規制が始まっているのか、、
その狙いが何なのか、、いまいちみえないところ、それが恐ろしい。

狙いはよくみえないけれど、、
これはクラブ運営とダンスの問題だけでなくて、
こういった表現の自由の規制に対してちゃんと反応なり反対していかないと、
そのうち歌うことも、詩を読むこともできなくなるかもしれない。
声をあげることへの規制にも連なっていくかもしれない。
そうしたらいま起こっているデモや抗議に対してのイメージも
せっかくいま作りあげた反原発の運動やひとびとの抗議も、
また見え方が変わってしまうかもしれない。
彼らは、規制をやぶるもの=危険分子そんなイメージを作りたいんじゃないか、、
そんなふうにも思う。
わたしの杞憂であれば、あとで笑い話にすればよくて、
わたしたちはまたひとつ去勢されていくのではないか、
そんなふうなことをすごく警戒していて、
そうだとしたらわたしは思い切りNOOOOOO!と言いたい。



規制の一方、中学校でダンスが授業に取り入れられるらしいけど、
踊らされるのも、踊らせられないのもいやだ。

言うこときいてなるものか。


“The first thing we do, let's kill all the lawyers" -William Shakespeare
ウイリアム・シェークスピア 「ヘンリー六世」 より。






2012/05/16

5.15 印し



私は私のために生き、あなたはあなたのために生きる。
私はあなたの期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
そしてあなたも、私の期待に応えて行動するためにこの世に在るのではない。
もしも縁があって、私たちが出会えたのならそれは素晴らしいこと。
出会えなくても、それもまた素晴らしいこと。
(ゲシュタルトの祈り)


朝から雨。
ちょっと寒い。



壊れたトラペットが復活した。
おもしろい形になったけれど、
欠陥があるほど、愛おしい。
それは、これがこうなってこうなった、っていう小さな物語、
小さな証し。
大事な印し。














2012/05/15

5.14 You




わたしが映画の中でいちばん美しいシーンは?と訊かれたら、
わたしはこの映画のラストシーン、
彼女が手に彼の手を携えるこのシーンを応える。


“You?”

この三文字のことばほど、胸を打つものはない。
    









2012/05/14

5.13 花束

きょうはよい日だった。
朝も、夜も。

久しく会わない友だちから胸に響くメールをもらったこと。

友だちがとてもすてきな展示をしてくれたこと、
そしてそこに来た人たちが言葉を交わしていったこと。

なかまと昼夜、楽器をならしたこと。

母と電話したこと。



きょうは街のいたるところでカーネーションの花をみかけた。

母に花束。
ことばのかわりに。


数年間、わたしにはもうひとり母がいた。
小さな、愛らしい花が似合った いつかの母にも花束を。
どうか元気に笑っていますように。


すべての母に花束を。
あなたの子どもたちはみな、
わがままで、ばかちんで、のんきに、騒がしい、
すばらしい子どものおとなで、
のびのび育っていますよ。たぶん。

母、万歳。

2012/05/12

5.11 母と風船

微熱が下がらず、またしても一日寝てしまった。

風邪ではなくて、
去年から患ってしまったものが悪さしているような気がする。
定期的に検診を受けに行っているので、
気にしないようにしているけど、
悪く進行しているのではないかと不安になる。
しかも働けないとお金にもならないので、焦る。
寝てなんかいられないのに、、、。

どうにもならないので、気にしないのがいちばんだ。
あまり先のことを考えてもしかたないので、
ひとつひとつ、
自分のしたいことを焦らずしていこう。
後で悔いが残らないように。


ほんとうはきょう、母が来る予定だった。
きのう、電話があった。
親というのは恐ろしい直感で、
元気じゃないときに「元気?」って、電話してくる。
とにかく心配なので来るというが、断ってしまった。
こんな姿をみせたらさらに心配させるから。


去年、わたしのことで心労をかけてから、
必要以上に連絡しなくなった。
引越のあとの片付いていない部屋をみて、
「切ない」と言って帰っていった母を元気づけるにはどうしたらよいだろう。
去年、がっかりさせたぶんを何でとりかえせるだろう。
思いつかない。
せめてこれ以上心配させたくない。

この半年、実家にも帰っていない。
甥っ子の幼稚園の最後のお遊戯もみてあげなかった薄情な叔母、、。
実家といっても、もうわたしのいるところではないし、
わたしはこっちでがんばらないといけない。
それにはもうすこし時間がかかる。

なのに今こんな寝込んでいる自分がふがいないのだけど、、
母さん、
もうすこし待っててね。


五月のメイデーになると、母を思い出す。
母は仕事の労働組合の関係で、毎年メイデーのデモには歩いていた。
わたしを置いていけないので、仕方なしにわたしを連れて歩いていた。
わたしは一年で一日、
母とずっといっしょにいられたのはメイデーだったような気がする。
だからメイデーは楽しみの日だった。
大人が風船をくれた。

わたしが子どもの頃から家を出る高校くらいまで、
母は仕事から帰ると、具合が悪いのでそのまま寝ていた。
もともと丈夫な方でなく、自律神経が弱い人ではあったけれど、
仕事と子育てでギリギリだったのだろうなと思う。
いまでこそ週休二日が一般的だけど、
昔は週6日、ときには日曜日も仕事の日があった。
父も同じように働いていた。

ふたりは善良な両親で、
こどものために朝から晩まで、それこそ休みなく働いていた。
日々の楽しみは唯一家族が揃う、
朝ラジオを聴きながら食べる朝食と、
日曜日の夜の8ミリの上映会だった。
わたしは両親と過ごした時間は少なかったけれど、
しあわせなこどもだった。


母の日の日曜日、
その日には元気になっていよう。
元気だよ、って電話をしよう。

2012/05/11

5.10 われに 五月を































五月になると、この詩がふと、思い浮かんでくる。
とくにきょうみたいに、
太陽や、ひかりや、影や、雨や、雲が、
わたしの頭上で 渦を巻き、
木の葉を揺らし、
草の匂いを震わせる、
五月の午後には。


.....
萌ゆる雑木は僕のなかにむせんだ
僕は知る 風のひかりのなかで
僕はもう花ばなを歌わないだろう
僕はもう小鳥やランプを歌わないだろう
春の水を祖国とよんで 旅立った友らのことを
そうして僕が知らない僕の新しい血について
僕は林で考えるだろう
木苺よ 寮よ 傷をもたない僕の青春よ
さようなら

きらめく季節に
たれがあの帆を歌ったか
つかのまの僕に
過ぎてゆく時よ

二十才 僕は五月に誕生した
僕は木の葉をふみ若い樹木たちをよんでみる
いまこそ時 僕は僕の季節の入り口で
はにかみながら鳥達たちへ
手をあげてみる
二十才 僕は五月に誕生した

(寺山修司/五月の詩・序詞)




雨が降れば、
その雨の先を思う。
波のように動きながら、雨の粒を落としているその先を。
あの場所も、あの家も、あの人のうえにも、あの猫のうえにも、
降っているだろうか。


虹が出れば
虹の、その先を思う。
あの場所も、あの軒先も、あの子の足も、あの鳥の羽も、
あの弧のなかにいるのだろうか。




あれほど荒れた空が、
いまはもう、星が瞬いてる。
風に、星々が瞬きをしている。


路には肌寒い風がふいているけれど、
夜の匂いは夏に向かっているよ。

届いているだろうか、
それともこれから向かっているだろうか。

風の向きも、星のひかりも、
過去も未来もなく、縦横無尽でいいね。

そんな五月の夕べ。



週末には、空はどんなけしきをみせてくれるだろう。

昼には、そのなかに溶けるような、やわらかい音を吹こう。

夜には、小さな旋律をみつけよう。

おもったけれど、
メロディは、みえないお守りみたいなものだね。
夜道や、心細いとき、ここぞというとき、
ふと口ずさむと、何かが支えられる。
あれはなんだろう。
掌で包まれるような、、
やっぱり、お守りなんだと思う。


きょうはまだちょっと微熱があるので、このあたりで。
よい五月の宵に。







2012/05/10

5.9 キドアイラク

杉並デモ以来、熱がつづいている。

みて、この杉並デモの熱気。
異常な興奮と、疲れがのこってもふしぎじゃない。

喜ぶ人、怒る人、楽しんでいる人、嘆いてる人、
あれほど喜怒哀楽のコントラストがあるデモもめずらしい。
やっぱり人間は喜怒哀楽、ぜんぶあって人間っぽい。
できれば喜を多めに、楽ちんに生きたいけれど。




【スチャダラパー - 喜怒哀楽】




準備やデモで身体の緊張も続いて、
とにかく力を外へ外へと向けていたけど、

雨風雹にまみれて、笑って、すっからかんになった。


きっとそのぶん、
身体が内へ向けって言っているのだろうね。
だからいつもより丁寧にご飯を食べたり、
部屋に花を飾ってみたり、
音楽をゆっくり聴いている。

花を飾ったら、部屋にどこかからか蜂が入ってきた。
蜂の羽音に耳を澄ましている。

いつか、喜びのアメージング・グレースをしたいな。

2012/05/08

5.8 かいじゅうたち と かくれんぼ

Maurice Sendak / The New York Times
Maurice Sendak was widely considered 
the most important children’s book artist of the 20th century, 
whose works wrenched the picture book out of the safe, 
sanitized world of the nursery and plunged it into the dark, 
terrifying and hauntingly beautiful recesses of the human psyche. 
He died on May 8, 2012, at the age of 83.

センダック、死す。

どうしよう、、
言葉もない。

MCAにつづいて哀しいニュース。

わたしのパソコンの背景は、“かいじゅうたちのいるところ”。
INSIDE ALL OF US IS...ADVENTURE.
いつもこころに冒険を。


かいじゅうだけじゃなくて、
こんなかわいい絵も描くひとだった。
A Hole Is To Dig




こどもたちのための ほんとうのお話をつくるひとは、
こどもたちに嘘をつかない。
こどもたちに容赦をしない。
こどもだからといって、
あまい世界だけをみせるのではなく、
世界のあらゆるところをみせる。
たのしさも つらさも きびしさも つよいところも よわいところも
影も光も ぜんぶみせるものだと思う。
そして、そんな世界に きみたちはいて、
きみたちはそこで たくましく、生きていくんだ、
世界はぜんぶ、きみたちのものだ、ということを伝えているのだと思う。
それが ほんとうの ものがたりというものだ、とわたしは思う。
わたしがすきな物語や昔ばなしはそういうものだ。


センダック、
小さいころのわたしに、
そっちへつながる扉をつくってくれてありがとう。

将来そこで、あなたがいるところ、
かいじゅうたちのいるところで会おう。
こんどは、わたしが あなたを見つける。

GAOOOOOOOOOOOOOO!!
SAY, ALL IS LOVE.












5.7 My Trp

きのう、トランペットのピストンを落としてしまった。

きょう道々、探してみたけれど、
きのうのあの嵐だもの、どこかに転がってしまったのだろう。
みつからない。

あぁ、なんでもっと大事に運ばなかったのだろう。


わたしのトランペットは中古で格安で手に入れた安メーカーのもので、
わたしのところに来た時点で、
もともとの持ち主に大切にされてなかった不遇な感じがあった。
(そういうのってなんとなく手にして伝わってくるものでしょう?)
だからこそ、ちゃんと使えるように手入れをしてもらったときには、
一人前(一トランペット前?)になってうれしかった。
手に馴染んで、磨きこんでいこうと思っていたのに、
それなのに、それよりももっと不幸な不具なものにしてしまった。

安メーカーなので修理にもっていっても、
相手にしてもらえないかもしれない。


実家には30年以上も昔に買ってもらったピアノがある。
安いアップライトのピアノだけれど、もうほとんど弾いてないけれど、
親にはお願いして調律だけはしてもらっている。


楽器は、友だち。
簡単に買い替えることはしたくない。


自分の手で傷つけることは
こんなにも胸が痛むものなのか。

5.7 We Gotta Fight For Your Right To Party

























Fight For Your Right 
You gotta fight, for your right, to paaaaaaaaaarty

二十歳のころ、
友だちのDJを聴きに、渋谷かどこかの小さなクラブに行ったとき、
明け方にまったりとし始めた頃、友だちがある一曲を流した。
途端、その場にぐったりしていた男の子たちが一斉に飛び上がり、
ポケットのライターを探り、火をつけながらジャンピングし始めた。
いくつかの揺れるライターの火をみながら、
わたしは男の子たちの急変ぶりが恐くなったけれど、
このパンクなんだかロックなんだかメタルなんだかわからない、
血が逆行するような曲に、わたしも一瞬で虜になってしまった。
それがビースティの “Fight For Your Right”だった。
right/権利 と light/火  を かけていたのかな。


BEASTIE BOYS - IN A WORLD GONE MAD
In a World Gone Mad is an anti-war protest song released by the Beastie Boys.
 It was made available in March 2003 on the band's website in MP3 format as a free download. 
In its lyrics it directly references the war on terror and war on Iraq 
as well as political figures George W. Bushand Saddam Hussein.

 狂った世界で正しい考えを持つのは難しい
 あふれる暴力 憎しみ 悪意
 殺人者はきょうも街を歩く
 今こそ俺達が非暴力で闘う時


中学生の頃、反原発運動をしていたMCA、
ビースティでのラップ、やんちゃぶり、ジョーク、遊びと、
その後のフリー・チベット運動、イラク反戦/ブッシュ批判とは
ぜんぶつながっている。

スチャダラもそうだけど、
一見おちゃらけてるような、悪ガキが政治的なことを言うと、
変わったとかいうけれど、スチャダラもビースティもなんら変わっていないよ。
それが  “Fight For Your Right” にも現れてるよ。

“やつら”の声に騙されるな、
“やつら”のやり口(戦争)に加担するな、
それ以上に騒げ、俺たちやり方でパーティをしよう、って。

だからいま、きょうの今聴いても、
涙が出るくらい、胸が震えるんだとおもう。


MCA、
とびきりカッコいいラップと闘うエナジー、ありがとうね。




2012/05/07

5.6 世直しを願う民衆の情念

杉並デモを終えて、
まだ気持ちや言葉がまとまらないのだけど、
ひとこと、書かずにいられない。


こんなに全身で雨とヒョウを浴びたのは初めてだった。
前を向いていられなくて、後ろを向いたら、みな豪雨とヒョウのなか、
(狂気の)笑顔でドラムやホーンを鳴らしていた。


原発やめろデモの底力というか、真骨頂というか、、
異常事態やトラブルに対しての、このたくましさ。
馬鹿とかアホとか付くくらいの生命力。

ヒョウが降る中、大笑いで演奏している姿をみて、
沿道の人は「あいつらアホか?」と、ひいたかもしれないけれど、、
こちとら、のほほんと、お祝いしているわけではないのだった、
これまでの抗議やさまざまな活動の末のお祝いだった。

何の因果か、この一大パレードの日に、
豪雨や雷、おまけに叩き付けるようなヒョウまでふって、
おてんと様は、わたしたちの何を試しているのかわからないけれど、
きょうこの日はお祝いをすると決めたのだった。
だから雨が降ろうが、ヒョウが降ろうが、雷が鳴ろうが、
ぜったいに笑ってやろうと思った。
ここに辿り着くまでの「今にみておれでございます」の呪いを、
祝いに変える必要があったのだった。

このお祝いを準備し、悪天候のなか、実行してくれた
スタッフのみなさま、大変お疲れさまでした。
素晴らしい、記念すべきパレードでした。





世直しを願う民衆の情念は宗教の形をとる、という。
(「東京の街が奏でる」より)

宗教の形かどうかはわからないけれど、
世直しを願う民衆の情念は、、、、凄まじいよ。


再稼働したら、民衆、とくにこういう(酔狂でまぬけで馬鹿な)人たちは、
なにをするのかわからない、ということだ。




2012/05/06

5.5 HAPPY ZERO

ついにきょうの23時、泊原発が停止し、
原発稼働基がゼロになった。

きょうはすばらしい日だった。
今までいっしょにがんばってきた大切な友だちと
音を出したり、ご飯を食べたり、歩いたり。
よころびあい、その時を目撃した。

この歓びをもって、
明日からの世界を回していく。


2012/05/04

5.4 FOR HAIRO

あと、一日!

ついにあしたには全原発が停止する。
その後の再稼働停止、のちの廃炉への願いと新たな宣言を胸に抱くよう、
石田家の「for HAIRO TEE」を購入しました。

石田さん、
官邸前や経済省前の抗議にいっつもおみかけしてます。
どこにいるかは解らなくても、
その声と、コールのリズムで、きょうも来てるなと解ります。
勝手に励まされています。

5月5日未明、
そんなふうに、今まで声をあげてきた人たちと、
またこれから声をあげる人たちと、
あしたは泊の炉が止まるのを目撃したい。

5.3 反転、祝祭のマーチ

「祝!原発ゼロパレード」のためのバナーも、原発ゼロメダルもできた。
よかった。
ほっとした。






























こちらは原発ゼロメダル。
こんな小さいものなのに難しくて、
えらい時間がかかってしまった、、

もし欲しいという方いらしたら、喜んでさしあげます。

わたしはドラム隊のなかまで、
有象無象の祝祭マーチングブロックというのに出ます。
3.11で「追悼と怒り」の演奏と行進をしましたが、
5.6にはその反転、祝祭と歓びの演奏と行進をしようと思います。

もちろん、完全に歓喜で終わる訳にはいかないけれど、
「原発全基停止」というひとつの既成事実を、
歓びで実感するということはたいせつだと思う。
人々が歓び合うっていうのが、たいせつだと思う。

、、ふう。
ここ数日、忙しくてまともに眠れてないけど、
きょうは安心して眠れる。


もっともっとトランペット吹けるようになりたい。


あと2日。

2012/05/02

5.1 ゼロがいっぱい


ゼロ祭り。

プリンタが調子悪いので、へなちょこなゼロ。

ゼロの日、
お祝い宣言まで、あと三日。





2012/05/01

4.30 光りのパイプオルガン

春を通り越して、初夏のような日差しがつづく。

冬のあいだ、
わたしの家の隣の寒々しかった空き地も、
気がついたら、草木が空き地を覆い始めた。
春になったら種を窓から蒔こうと思っていたのだけど、
そんなことする必要もなかったのね。
土の下で、冷たさに耐え、ようやく芽吹いてきたのだった。

そういえば、わたしはこの窓からみる春は初めてだった。

刺すような寒さに凍えた土、
堅く口を閉ざしたような景色を、毎夜眺めていたけれど、
いつのまに、そこにはやわらかなみどりの絨毯が広がっていた。

それがどんなにわたしの心を軽くしたか。


わたしのすきな宮沢賢治の詩を、
友だちの web サイトでふと見かけたので読み直してみた。


わたしの目の前に広がる空き地、
わたしがこの半年、いちばんみつめてきた景色。

晴れた日も、嵐の日も。

そこに、わたしの光りのパイプオルガンもあらわれる、ような気がする。
それを祈るようなきもちで、耳を澄ましてみる。


......

もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光りの像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ

もし楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ

(宮沢賢治「告別」一部)








4.30 わたしは

ちいさく、つぶやきます。

わたしは左翼でもサヨクでも活動家でも善人でも人道家でもないです。
あえていうなら、
将来はただのふつうの絵描きのおばあちゃんになりたいと思っています。
ひじょうにわがままで未熟なものですので、
自分勝手に生きています。
わたしのすることで誰かがよろこんでくれたらこんなにうれしいことはないけれど、
誰かのこうして欲しいという期待には応えられません。
すみません。