2012/01/26

1.26 Bereavement of Nukes 忌原發



BOHEMIAN PUNCH ACT.1 Bereavement of Nukes

パフォーマンス「忌・原發」:BOHEMIAN PUNCH 
撮影/編集:中村友紀
場所:Nakano, Ebisu, Roppongi /中野、恵比寿、六本木



昨年のクリスマス間近の12月23日の祝日、
わたしがしているボヘミアン・パンチで、
「忌・原發」の旗を持って、街を歩きました。
撮影は映画「素人の乱」監督、中村友紀さん。
この映像はそのときの、ささやかな記録です。

デモが大通りを走る乗り合いバスだとしたら、
この日わたしたちがしたのは、
路地裏を自転車で走るようなことだった。

デモからみえる、沿道の側に入り込んでみたい。そう思った。
わたしが立ってみたいのは、沿道とデモの分断線の線上。
そのふたつが、つながるように。


2011年の終わりがみえた頃、
2011年でできることをしておきたくて街を歩いた。
12月の寒い日で、寒さに震えながら街を歩いた。
わたしたちはこの旗をもっているあいだ、
この世のものじゃないんだ、とふたりで話し、
実際、わたしたちは影のようにそこにいた。
いま、わたしはこれと同じことはできないだろう。
こんなふうに、死に神のようになるのは、
体力も気力も奪われる。
ほんとうに冷たくなる。
けれど、これはあの12月の末にする必要があって、
そうした。そうできて良かった。


その日は、晴天で風が強い日だった。
寒さで震えながら、わたしたち三人は、
クリスマスで華やぐ街の中で佇み、路を歩いた。
「ふつうの生活」に戻りつつある風景の中で、
小さなノイズとなっていた。
そのノイズを無視する人、避ける人、
耳を傾け、ことばをかけてくれた人がいた。


動物的な勘と、鋭い理性で映像を撮ってくれた
中村友紀さんに感謝してます。
友紀さん、ありがとう。

そして旗を持っているとき、声をかけてくれた人、ありがとう。
そのあいだ、人間でいられました。

今年は、こんなことしないでいいように、なればいい。
明るくなればいい。














1.26 破壊と誕生


わたしの遺伝子レベルで影響を受けている漫画家、
大友克洋先生の一大原画展が行われるという。
このポスターをみただけで涙が出る。

なんていう力だろう。
肉体が機械もろとも、ぐちゃぐちゃの塊が突き上がる。
それを司る、こども。
ものが、エネルギーを撒きちらしながら生まれる、
生まれたぞって、破壊しながら、暴れながら生まれてくる、
そんなエネルギーを描いてきた人だと思う。

大友先生の漫画を読まなかったら、今のわたしはない。
輪郭から建物の線、台詞の線まで真似をしていた。
乗り物、建物、風景の中のノイズ、ことば、明朝体、
不良、悪人、偽善者。
こども、おとな。
擬音。日本の音。日本人の癖。肉体。遺伝子。
人間の冷たさ。愚かさ。
絶対的な力。兵器。暴力。戦い。
超・能力。宗教。宇宙。
そして人間の野生。
そんなものの描き方を大友さんの漫画から教わった。


宮城県出身の大友さんが考えたあげくの、震災のための企画という。
原発事故以来、幾度となく読み返したAKIRA、
それが東北につながっていく。いまこのときに。
考えただけで涙が止まらない。

1.25 NOW IS THE TIME


2012.1.25のタハリール広場。
sharifkouddous

あのタハリール広場から一年。
2011年のプロテスターの年はここから始まった。



そしてその数ヶ月後、
怒声と歓声のひしめき合う広場にわたしは居た。
4月10日、高円寺。


友だちのカオリちゃんの友だち、ボリさんが撮ってくれた、


わたしはボリさんのこの写真に映る、
人々の顔がとてもすきだ。
人々がすきだ。

あれから、長い時間が経ったようにも思えるけれど、
この人たちの顔をみていると、忘れかけていた力が出てくる。
すべてはここから動き出したのだった。

わたしが今まで生きてきた中で、
これほど歓びに震えた夜はなかった。

そして今、
これから、
向かっていく、その先をみている。







2012/01/23

1.23 ひざしまち


冬将軍が猛威をふるって、雪の日。
石鹸も凍る。

しずかに しずかに ひざしまち

1.23 hope hofu

3.11以降の日本の反原発運動を捉えた映画、
RADIOACTIVISTS – Protest in Japan since Fukushima
の監督のひとり、ユリア・レーザから、
彼女が帰ってしまった2011年8月以降の反原発の動きを知りたいと、
年末メールがあったので、わたしが知っている範囲で答えました。
(わたしが答えたのは日本語で、訳は別の方です)

その内容が RADIOACTIVISTのwebサイトに掲載されてますが、
あくまでもユリアへの私信の手紙ですし、
わたしが知っていることのみなので、運動の経緯については割愛して、
わたしが思っている、これからの希望についての原文のみ、ここに載せます。
希望と抱負。


 “........  
 ひとつの希望は、
 毎週のように行われていたデモの草の根的な運動が、
 少しずつ街の中でも市民権を得てきたように思われることです。
 まだまだ沿道人たちの反応は冷たい時もありますが、
 事故が起こったときに比べたら、デモを見慣れてきたようで、
 拒否反応は少なくなってきたように感じます。
 デモに参加しているわたしの感覚が強くなったのか、
 鈍くなったのかもしれませんが。
 またデモ自体が特殊な人たちによるものではなく、
 これまでデモに参加していなかった方々や、
 お母さん、お父さん、お子さんも参加して行われるデモが増えてきて、
 デモが一般化してきた、というところがあると思います。
 これはひとつの希望だと思っていますし、
 「普通の生活」になりつつある今、
 いかに政治への直接行動である「デモ」を一般化できるかで、
 今までかけ離れていた日本人の「生活」と「政治」、そして「文化」と「政治」が
 つながっていけるかどうかの鍵がそこにあると思っています。
 これは人類史上まれにみる惨事をもってして、
 日本人がこれからの暮らしを、
 真の意味で自分たちの手でつくることができるかどうかの、
 ひとつの試金石だと思っています。
 そういう意味で、2012年になったこれからが正念場だと思いますし、
 わたしはこの試練に希望をもって立ち向かいたいと思います。
 いまわたしはひとりではありません。
 いろんな方法で、場所でこの試練に立ち向かう仲間がいます。
 ユリアもそのひとりです。
 ユリアとクラリッサの映画「RADIOACTIVIST」が、
 原発に立ち向かう人々をつなげていると思います。
 映画撮ってくれてありがとう。
 改めてお礼をいいます。
 ...........
 2012.1.11 Junko HARADA”

    

2012/01/22

1.22 土地ことば RISE UP



子どもと昔話」2012年冬号。
昨年の秋に編集が進められたであろう本誌、
昔ばなしの紹介、説明はもちろん、
エリザベス・コールさんの今回の巻頭写真は、N.Y占拠レポート。
そして「うさぎ!」でもN.Y占拠に触れ、
2005年にはじまった「うさぎ!」第一回を再掲している。
そして小澤俊夫先生の「日本をみつめる」は、
野田政権に対しての烈火のごとく激しく批判されている。


そしてきょうは、
小澤昔ばなし研究所による、昔ばなしの研究会。
この数日、微熱でもやもやするのだけど、、
きょうは“語る”ための 昔ばなしの研究発表。
気を引き締めて発表(とちゅう、ぼんやりしたけど)。

この数ヶ月、わたしも研究なかまと、
『按司がなし(あじがなし)』という奄美大島の昔ばなしを、
単語ひとつ、ひとつ分解し、吟味し、語るために音として耳で確認してきた。

もう漏れはないだろうと発表したら、師の俊夫先生から、
「句読点と、語りの呼吸とかあっていない」との根本的な指摘、、、。
目で読点を打っているから、実際口で読んだ読点と、書かれた読点があっていないと。
読点は呼吸にあわせて打つものなのだと。
ことばは、呼吸とともに生まれるものなのだ。
すごく根本的な話だけど、再確認。
で、出直し。

そして他のグループの各地の昔ばなしを聞く。
同じ話でも、共通語とその話の生まれた土地ことばできくのとでは、
モノクロとカラーぐらい、その表情が違う。
土地ことばはモノガタリの動力となっている。
共通語にはない、それぞれの土地のことばのもつ、温度とリズム、
そこには音楽としての身体性、人間らしい可笑しみや、愛嬌がある。
このおもしろさ、耳の気持ち良さは、
昔ばなしに興味ない人にも聞いてもらいたいな。
その土地のことばが意味が解らなくても、その独特なリズムを媒介に、
なんとなくお話が解ってくるような不思議体験があって、

そのあたり、わたしは昔話とラップって、同線上にあるんじゃないかと思う。

サウダーヂに出演していた stillichimiya とか聴くと、特にそう思う。
彼らの甲州弁ラップは、甲州人だけが解るというものじゃなくて、
甲州弁の意味は不明だけど、
その不明さがリズムによってなんとなくわかったよな気がしたり、
可笑しみにかわったりして、
奇妙なグルーヴ生まれているからいいんじゃないかって思うのだけど
、、どうなのかな。

話を昔ばなしにもどすと、
今年はグリム童話生誕200年、小澤昔ばなし研究所設立20年の記念すべき年。
6月には、わたしたち昔話の再話研究者たちが、
南は石垣島、北は北海道といったぐあいに、全国から秋田に一大集結する。
それぞれの土地のことばによる語り大会。
これはすごいことになりそう。

そして秋には、生きた昔話の一大聖地、沖縄に行く予定。
沖縄は東北と並ぶ、伝説や昔話の宝庫。
しかもそれが現在も信仰とともに生きている地。
昔話を研究していたら、一度は足を運びたくなるところだ。
ほんとうは、昨年の5月、現地の研究者たちと「伝承と平和のツアー」と称して、
辺野古周辺の昔話伝承の地と、高江を廻る予定だった。
現地の語りべたちと実際に物語の地を巡り、
最後は基地問題に揺れる辺野古、高江を訪れる予定だった。
(俊夫先生は、沖縄の基地について長年反対運動をしている)
それが震災で延期になってしまった。
なので、記念すべき今年は、ぜひ皆で行こうと計画している。

いろんな土地ことばや、物語を探す旅。
2012年はそんな年になるかな。
勉強することはまだまだあるけど、
それ以上に発見することもある気がしてる。

そのために、体調整えるの、優先。
身体を強くしよう。
あとは、、、お金をためなきゃ、、、、。

1.21 花森安治からの宿題



てれれの上映会に行く前に立ち寄った書店で、
椹木野衣さんの「たたかえ暮しの“手”帖」という文字に思わず、
花森安治 —美しい「暮し」の創始者』を買った。

そのあとの、てれれの上映会の作品、
早川由美子さんとお話したこと、
ティーさんがベトナムで立ち上げたメディアセンターのコンセプト、
それらとこの『暮しの手帖』と花森安治のことばがリンクした。


今の『暮しの手帖』について、とやかく言う気は失せてしまった。
こうしてほしい、と思うこともない。それもさびしいけど。

各執筆陣の花森安治評は読み応えがあるし、
執筆にあたって、『暮しの手帖』を百巻を通読したという
詩人・茨木のり子さんの『暮しの手帖』の分析もなるほどと唸った。

けれど、今、いちばん胸に刺さったのは、
花森安治が三十年も前に問うた、三つの問題。

      ....
   問題を三つ出す。
   問題ごとに、その答えを出した人に、それぞれ一兆億円を差し上げよう、
  というのである。 
   問題の一つは、ガンを完全に治すクスリを、見つけて下さい、ということ。
   問題の二は、汚れた大気や海や川や湖の水を、
  もと通りのきれいな空気や水にする方法なり装置を、見つけてほしい、ということ。
   問題の三は、ぼくらの体の中に、こんなことをいっているあいだにも、
  じわじわとたまってゆく放射能とか、いろんな有害な物質を、
  どうしたら取り除くことができるか、あるいは、どうしたら、
  それを無害なものにかえられるか、それを徹底的に解決して下さい、ということ。
   この三つである。
    .........
     (「君もおまえも聞いてくれ」花森安治/昭和四十七年3月文藝春秋)



この問題にいまだ有効な答えは出ていないだろう。

先週の土曜日、14日は花森安治の35回目の命日だったという。
わたしはその日、横浜のデモにいた。
だから何だっていうのだ、問題は解決していない、
というのは事実あるだろう。

、、けど、 “そこ” に向かってはいるだろうと思う。
痛みや迷いや、希望をひっくるめながら。
ね。



2012/01/20

1.20 みる きく いう

あしたの夜は、路地と人で
みる!きく!いう!の【カフェ放送てれれ】 の上映会があります。
路地と人では、
大阪を拠点とする市民メディア「映像発信てれれ」と協同して、
市民から募集した映像作品を定期的に上映しています。
映像は10分前後、集まった作品は全て無審査で上映されます。

今回は6作品+αの特別編成。そのうち、3本がベトナム関連。
日本の中でのベトナム社会、ベトナム社会で立ち上がる人々、
そしてベトナムのインディペント・メディアの今、を伝える3本です。

てれれの作品は毎回、多種多様。
アニメやファンタジー、ドキュメンタリーと手法もさまざま。
そしてそのどれもが、そのカメラを手にした方の視点と、
熱い想いに溢れている。
マス・メディアでは取り上げられない、届かない、その内なる声を、
自らカメラを手にしてフレームに映し出してる。
なので、てれれの作品は、決して心地よいものばかりでなくて、
中にはその声をどう受け止めてよいか悩むものものある。
胸が痛むときもある。
けれど、てれれの作品を観ていつも思うことがあって、
それはこんなこと。

誰かの小さな叫びを聴くと、
小さく胸が痛むけれど、
それはつながる力をも生む、

そんなふうにいつも思う。
少なくとも、わたしはそう信じている。
それが映像のちから だと思っている。

そして、わたしはカメラを手にしたその人にエールを返したい。
みること、
きくこと、
そして次にわたしが いうこと。


今回はドキュメンタリー映画監督の早川由美子さん
もお迎えして、
山形国際ドキュメンタリー映画祭のビデオレポート、
『ベトナムのメディア事情』もみんなで観ます。
ベトナムでインディペンデント・メディアセンターを立ち上げた
グエン・チン・ティー監督とはどんな方なんだろうか。
またベトナムのインディペンデント・メディアの状況ってどんなだろう。
去年の「ぱく・どよん展」の時にも感じたことだけれど、
メディア・アクティヴィストでもあるドヨンからきいた、
韓国での社会運動やそのスタイルは、
韓国独自の文化/アートとアクティヴィズムが融合した、
とても力強いものだった。
運動の傍らに常に歌がある彼らの明るさとユーモアは、とても新鮮にみえた。
韓国には韓国のやり方があった。
東南アジアには東南アジアの、
ベトナムにはベトナムのやり方があるのだろう。
そしてわたしたちにはどんなやり方があるのだろう。

そんなことを早川さんや、集まった人たちと、
そこに集められたいくつかのメッセージを囲みながら、
東京から遠く離れて、東日本やベトナム、
あの地、この地に想いを馳せて、
わたしたちのこれからの物語をシェアしたい。

雪が降るような寒さが続きますが、
あしたはあたたかい食べものや、飲みものを用意しますので、
お越しいただけたらうれしいです。
お待ちしてます。

■■■ 1月2月号 上映プログラム ■■■
1『テト』Re:C/6分11秒
神戸市の鷹取教会で行われたベトナムの旧正月テトのお祭りの様子。
長田区にはベトナムの人がたくさん住んでいます。
どうして日本でベトナムの旧正月を祝うのか?
Re:Cの子供たちがレポートしました。


2『妊婦さんへのあったかメッセージ』小沢みつよ/6分

社会の大切な命を育んでいる妊婦さんへ、
様々な立場の人から温かいメッセージが集まりました。



3『東日本大震災~震災後の取り組み、
 市民メディアが取り組むべきこと、震災報道の温度差~』
武蔵大学(岩崎寛 岩間友里 神田菜菜 佐野夏美)/7分49秒
武蔵大学の学生による、名取市の災害ボランティアセンターのレポート。
てれれでの上映は3回目。
今回は震災支援やメディアのあり方について、
関本栄太郎先生にインタビューしました。


4『女たちがつながって パート2 ろうあの子どもたち』加堂妙子/6分35秒

ベトナムのダナン市にある「希望の村」で行われる手話教育についてのレポート。
ここで生活する子ども達の約3分の1は聴覚障害児で、
ベトナム戦争時の枯葉剤の影響ではないかといわれています。


5『chorus』黒瀬政男/1分32分
8mmフィルム独特の色合いが懐かしいけど新鮮!
意外な結末にびっくりの、楽しいアニメ作品です。


6 山形国際ドキュメンタリー映画祭 ビデオレポート
『ベトナムのメディア事情』早川由美子/20分23秒

ベトナムでインディペンデント・メディアセンターを立ち上げた
グエン・チン・ティー監督に、センター設立の経緯や運営、
ベトナムのインディペンデント事情について聞きました。
(インタビュアー:下之坊修子/映像てれれ主宰)

□ □ □ □ □ □ □ □ □ □ □
さらに今回はプログラム6番目「ベトナムのメディア事情」の監督、
早川由美子さんがいらっしゃいます。
1&2月号上映作品とは別に、
早川監督による『ブライアンと仲間たち パーラメント・スクエアSW1』と、
昨年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で「スカパー!IDEHA賞」を受賞した
『さようならUR』の予告編も上映します。
そしてさらにさらに!!「ベトナムのメディア事情」に出演されている
グエン・チン・ティー監督のセンターDOCLABのコレクションも2本上映します。
なんとこちらは日本初公開の作品です。

当日は、温かい軽食もご用意いたします。
飲んだり食べたりしつつ、
楽しいひとときをお過ごしいただければうれしいです。
みなさまのお越しをお待ちしております。


1.19 ゆうびんのお知らせ/じんじん

引越のあと、何通かお便りをいただいたようなのですが、
ゆうびんポストに名前をかいておかなかったら、
何通か送り主に戻されてしまったみたい。
ずいぶん長いこと、人が住んでなかったから、
ゆうびん屋さんもここには人が居ないとおもったらしく。
送ってくださった方、ごめんなさい。
その住所はあってますので、もういちど送ってください。
おねがいします。



きょうは夕方から雨。
ちょっと熱っぽい。
友だちの集まりも参加せずにいたら、
安岐さんが筑前煮と豆サラダ、ナツメ、阿波番茶を差し入れてくれた。
きのう作った豆乳の野菜シチュウ(最近はすっかり豆乳派)といっしょにいただく。
自分がつくったものも、そ・れ・な・りにおいしいと思うけど、
人がつくってくれたものは、もっとおいしい。
栄養が、じんじんくる。


2012/01/19

1.18 細胞のふるえ

きょうは棚造り。
もうすこしで完成、ってところで道具が足りない。
きょうはここまで。
色塗りはあした。

段ボールがすこしずつ、片付いてきた。
ふう、、。

ボヘミアン・パンチで作ったいくつかのポンチョや旗が、
カーテンや、じゅうたん替りに敷き詰めて、防寒に大役立ちしてる。
しま模様の かいじゅうポンチョを座布団代わりにしていると、
仕留めた猛獣のうえに座ってるような、なんだか狩人気分。
あながち間違ってないかも。

寝る前に窓の外をみる。
あした、天気どんなだろうって。
目の前が空き地なので、空も広がってみえる。
そしてわたしの部屋の窓からちょうど南西にみえる星が、
おうし座のアルデバランとわかった。
空に大きく位置する雄牛、その目にあたる、赤く燃える星。
赤く爛々と光っているから、すぐみつけられる。

きみは、この時期そこに来るんだね。
憶えておこう。

白い息。
震えるほど、寒い。


わたしが15日に書いた文章に、
会ったことない方が、とてもすてきな文章を添えてくれた。
そして彼女/彼?のことばが、いまのわたしの胸に響いた。
それは、遠いどこかからか還ってきた こだまのように、
わたしの気持ちを映しだしてくれていた。

誰かの細胞の小さなふるえ、
わたしの細胞の小さなふるえ。

この小さな ふるえ。
そのわずかな熱をわたしはいま、噛みしめている。


 ここに生きるということは
 小さな細胞のひとつであるということ
 いま死んでいないということは
 小さくもそのふるえの生む熱量が
 全身に何がしかの影響を与える可能性を
 与えられているということだと思う



2012/01/18

1.18 DANCE DANCE DANCE

[PINA BAUSCH - The Man I love (Gershwin)]
3.11以降、わたしがもっとも観た映像は、
デモの映像を除けば、ともだちのDIRTYさんのblogで知った、この映像。
(DIRTYさんのカーソン・マッカラーズ『悲しき酒場の唄』についての文章も素晴らしい)

観ているだけで涙が出てくる。
切なさとか、美しさとか、それだけじゃなくて、なんていうか、
人間の愛おしさ、みたいなものが、
このふたりの、か細い(たぶん)ダンサーの手をみていると沸き上がってみえてきて、
涙が出る。

3.11以降、わたしはこれを繰り返しみていた。
何に慰められていたのだろう。

きっとそこにある、
ピナ・バウシェとガーシュウィンというふたりが、
互いに響き合い、密やかに織り上げた、
祈りの世界みたいなところにいたのだろうと思う。

わたしには特定の信仰はないけれど、
この曲、この映像を観ていると、
祈り、ということばが浮かんでくるのだ。
愛するもの、愛すべきもの、あるいは何ものかに自分の身を捧げる、
その献身のすがた。

わたしはそこに何か、慰められていたのかもしれない。


わたしは障害を補足する手話というだけでなくて、
物語る手語というのがあると思う。

こんなふうに手で物語れたらなんていいだろう。
わたしの拙いことばのかわりに。

2012/01/17

1.17 あらゆる場所に花束を



1.17

この日は毎年、いつも同じことを書いている。



あらゆる場所に花束を



17年前の神戸へ。

この日、黒と白の世界でせめぎあった人たちへ、

この日、光を失った人へ、


今はたらく人へ、
今ぼやいてる人へ、


今、家族といる人へ、
今、ひとりでいる人へ、


今、寒い人へ、


今日この日、生まれた人へ、


今この時、これをよんでくれたあなたへ。





2012/01/16

1.15 線上にて/ことば と 速度

きょうも横浜。
東京藝大シンポジウム「10 MONTH AFTER 3.11」へ。

作品や活動、その作家性を敬愛し、
指標にしているともいえる表現者たちの
それぞれの立ち位置と経験によることばは、
それぞれ真理であり、共感し、励まされるものだった。

胸に書き留めた言葉や、やりとりはいくつもあるけれど、
印象的だったのは、全体の話の流れにいく度かでてきた、
大友良英さん、イルコモンズさんらが口にされていた“分断線”について。

そして “ことば” と、“速度”。

分断線については、
高橋源一郎さんが分断線についての文章を書かれているけれど、
3.11以降できた、いくつもの分断線、
それはたぶん、ほとんどの方が感じたことだろう。
わたしもいくつもみたし、引いてきたかもしれない。
脱/反原発の動きでもおなじようなレイヤーの違いを感じる。

けどこの分断線、
一本のはっきりしたものじゃなくて、
ひとりの人の中でも、ぶれや、揺れがあるように思う。
わたしの中でもいくつもの分断線があり、交差している。
そのいくつかの線が、わたしという座標を示している。
大友さんが言われていた
「分断線を見極めるのは大事なこと」というのは、
じぶんや、それぞれの立ち位置を見極めろ、ということなのかもしれない。
そして、いろんな分断線に「緩く」向き合うことが大事なのは、
その人の 揺れ を許容してあげることでもあるんだろうと思う。

そんなことを象徴的にみた気がするのが、きょうの第二部の質疑応答。
各作家性が露出し、わたしは大変興味深かったのだけど、
そのなかでも「原発輸出」についての論議は象徴的だった。
原発輸出を止められる、止められない、
現実的か、現実的じゃないか、
ことばは有効か、有効じゃないか、、、
いえばその会場に、分断線が浮いてみえた瞬間だった。
名作家/個人が集まって話すことで浮き彫りになった思考の溝。

その線が浮き彫りになったころ、司会の八谷さんが、
(もしかしたらその分断線に布をかけるように)次の質問に移行しかけたとき、
山川冬樹さんが「ちょっと待って」と質問を戻した。
「解らないから解るまで、発言の意図を聞きたい」と。
わたしはそこで質問を戻す、時間をかけることはすごく重要だと思った。
それは分断線によって、バラバラにならないための、ひとつの鍵だと思った。
同じ意見じゃなくてもよいのだということ、
分断線が悪いのではなく、分断線をタブー化しないことが、重要なのだと思う。

ほんとうの「絆」というのは、
そのそれぞれの座標である分断線をなくすことではなくて、
分断、言い換えれば多様性を認めながらも、
分断線によって引き裂かれないことなんだと思う。

これができるかどうか、わたしたちは今、試されているんだろう。
その分断線で分断されないために、
“ことば” と必要な “速度” があるように思った。

まずは「原発輸出に反対です。」
と、ことばにすること。
ことばによって動かせるものはある。
わたしも言霊を信じている。

そして、聴き合うこと。
分断線をみとめること。

そしてこれからは、イルコモンズさんも言われていたが、
それぞれの“ことば”や表現として立ち現れる「速度」を、時間を、
許容/共有することじゃないか、と思った。
3.11直後はスピード感が重要だったと思う。
けれど、これからはそれぞれのことばになる速度、
そして互いの違うことばに、耳を傾ける時間、が必要なのだと思う。


奇しくも、同日、同じ横浜で、
中沢新一さんらによる「緑の日本」党の立ち上げが発表された。

「ことばやイメージで、バーチャルな世界で伝えられているものを、
現実の世界の力にしていかなければいけない」と。

過日のDOMMNUNEでは
「離れてしまった『政治』と『文化』をつなげたい」という旨を言われていた。
強く共感する。
そのためにわたしも動きたい。
わくわくする。
緊張もする。

すごい時代に立ちあったものだ。
震災、原発事故からの復興だけのことではなくて、
民主主義の根本を見直す、もしかしたら、
初めて自分たちの手にしようとしているのかもしれない。
文化をもって。

わたしたちは試されている。

その解答として、わたしは手を動かし、身体を動かしていきたい。
“ことば” で動くことはある。
ことばは文化の源だとわたしは思っている。

、、なんて、そんなことをぐるぐる思って、鼻息荒くなって、
電車を乗り間違えた、
そんな帰り道。





2012/01/15

1.14 はじまりのファンファーレ



2012年のデモの幕開けは、
14・15 日にパシフィコ横浜で開催された
脱原発世界会議2012 YOKOHAMA」に連帯したデモ、

わたしはボヘミン・パンチで旗ふりで参加。
新年の始まりは、原発への怒りは引き続き保ちつつも、
未来を想わせるものにしようっていうことで、ルミナス・カラー。
そしてテーマは “みらいかいじゅう”。
(いちおう)ゴジラをモチーフにしているのだけど、、
二匹のかいじゅうが、“原発やめないと暴れるぞ” って
未来からやってきたというようなイメージで、旗とポンチョを作った。

引越の後片付けとか、疲れとか、不安なこととか、
いろいろ重なって、あまり準備ができなかったけれど、
どうしても明るい色の旗を作りたかった。
空にすこーんって抜けるような、明るい色を空に上げたかった。


きょうのデモは、
通りを歩く人は一般の方は少なく、公安ばかりが目について、
正直、冷え冷えとしたところはあったけれど、
デモ自体は参加者や関係者の方の熱い想いを感じて、
新しい年にふさわしく、互いの顔見せのような、あたたかいものだった。

これからにむけて、友だちや仲間、
いろんな人の顔をみれたのは、よかった。
始まりを、確かめ合えた。

デモが終わって、各梯団が公園に到着したあと、
始まりが騒げなかった分、みなで声を上げたり、音を出したり、踊ったり。
空に舞い上がった声と音、旗、
それがわたしにとって、
2012年、脱/反原発の運動の始まりを告げる開幕の狼煙、
ファンファーレだ。










2012/01/13

感電、する


PUBLIC EYES による「世界最悪企業2012年」オンライン投票。
今のところ、TEPCO 東京電力が堂々1位。

福島、日本だけの問題じゃなく、
地球規模での環境汚染を引き起こしたことを考えれば当然の結果。
荒れ狂うGODZILLA。
でもGODZILLAが悪いのではないね。
哀しき猛獣。



東京電力、
東京の電力、
東京のための電力、
東京にすむわたしたちが使う電力。
その電力がどこから来るのか、
いつのまにかコンセントの向こう側を想像できなくなっていた。






  2011年3月、首都圏に住む私たちは東日本大震災を経て、
  東京電力福島第一原子力発電所の事故を目の当たりにしました。
  事故を起こした電力会社は国と財界に保護されて破綻を免れるばかりか、
  消費者に「計画停電」や「節電」「値上げ」を強いています。
  原子力政策や電力供給のあり方は結局何も変わらないのでしょうか?
  私たちはいままで当たり前に消費するだけだった電気について、
  もっと積極的に考えていかなければなりません。

  アーティスト・ラン・スペース、merdreはアーティストの立場から、
  「未来の電力」について考え、「hARTsuden」を開催します。
  電気を自給自足できる作品、自ら発電する作品を首都圏で活躍する
  メディア・アーティスト5人(大城真、菅野創、堀尾寛太、
  芝辻ペラン・ステファン、矢代諭史)がそれぞれ異なるアプローチから発表します。


3.11以降、
メディア・アーティストにとって、またメディア・アートそのものも、
「電気」との関係性が大きく問われた時間だったのではないかな。
観るわたしもコンセントの向こう側からやってくる「電気」、
また「電力」と向きあった期間だった。

昨年の東京藝術発電所による展示とライヴパフォーマンスは、
太陽熱や自転車発電による電力を、作品やパフォーマンスに昇華させていた。
エネルギーの循環を観た。
コンセントの向こう側でなく、自分たちの手による電気、
そこでエネルギー=熱の循環は、命の循環でもあるのだな、と思った。


ということで、2012年の幕開けはこの展示から観に行った。
「hARTsuden」。
大城真、菅野創、堀尾寛太、芝辻ペラン・ステファン、矢代諭史という
メディア・アーティストによる展示、
矢代くん、大城くん、堀尾さんの作品は、毎回わくわくさせられる。
彼らが今なにを作るのか、非常に興味があった。

人間が電気を発電する、という仕掛けもあるけれど、
それ以前に、電気に触れたり、感じたりと、電気を身体で確かめる、
ラディカルな展示だった。
そして、感電した。

芝辻ペラン・ステファンさん、矢代くんの作品は象徴的だった。
電気と人間、電気を使う人間という関係だけでなく、
電気を通す人間、という発見があった。
これはそうかって、目が醒めた。
メディア=媒体というのは、自分の肉体の中にもあるのだなと思った。
肉体も電子の触媒になる、ということを観て感じた。
それって、メディア・アートの根本的なことなんだろうけど、
ぞくっとした。

しばらく、底冷えする古民家のその部屋で、彼ら/作品を眺めていた。












2012/01/12

嵐が丘

14日のデモのために旗を縫う。

huuuuuuu..........

きょうは風、強い。
窓が震えてる。
すきま風で手がかじかむ。

くまポンチョあってよかった。
巻いても、敷いても、掛けてもあたたかい。
そして枕にもなる。
このプードル生地、万能。
にしてもカーテンになる布、早めに買いに行かなくちゃ。


きょうは震災から10ヶ月。
被災地ではまだ仮設住宅の方もいる。
きょうとあすは、全国的に冷えるみたい。
天気予報で “冬の底” といっていた。


窓からみる夜の星は、
風が吹くほど、瞬いてみえる。
風が冷たいほど、冴えて、美しい。

それがごほうびかな。
寒い冬の夜の。

2012/01/10

こども to おとな

成人の日のきのう、
新成人のアンケートでは、日本の先行きは「暗い」としながらも、
日本を変えていきたい、と8割の新成人が思っているという。
なかなか頼もしいな。


成人、おめでとう。
これからは大人同士、わいわい、声をあげていこう。


この日、甲府から両親が所用で上京してきた。
わたしの部屋をみて、少し安心したみたい。
年末は実家へ帰らなかった。
たぶんとうぶんは帰らないだろう。

わたしはここで、もう少し「家」を作らないといけない。

「こんな手になっちゃった。」とみせてくれた母親の左手が、
ぱんぱんに腫れあがっていた。左足も。
リウマチにちがいない。

そんな手なのに、料理を作ってきてくれた。
そして暇さえあれば編み物をしている。
痛いからうまく編めなくなった、と言いながら。


わたしがどこにいようと、どうしようと、
この人はわたしの母親であり、
そして、自分ができることのなかで、たのしみをみつけている。
すんごい強いなと、思った。

 


わたしの部屋からはすぐそばの小学校がみえて、
ときどき、声が聞こえる。
いまは3学期が始まったくらいかな。


わたしが小学校6年生のとき、
光村図書小学校国語の教科書には
「ゆずり葉」という詩が載っていた。

ちょうど今ごろ、6年生の終わりくらい。
わたしはこの詩を読んで、
じぶんたちがどんなにしあわせなのかを知った。


今でもときどきこの詩を諳んじる。
こどもからおとなへ、
ゆっくりと時間が過ぎる中で、この詩を読む意味もかわってくる。


そして大人になった今、
ゆずるしあわせ、というのもあるのだと解ってきた。
わたしに子どもはいないけど、、

自分がなにをゆずってあげられるか。
何を残せるか、そんなことを考えるようになった。

自然の振り子は、ゆっくりと揺れている。


  「ゆずり葉」 河井酔茗 

   子供たちよ。
   これは譲り葉の木です。
   この譲り葉は
   新しい葉が出来ると
   入り代わつてふるい葉が落ちてしまふのです。


   こんなに厚い葉
   こんなに大きい葉でも
   新しい葉が出来ると無造作に落ちる
   新しい葉にいのちを譲つて。


   子供たちよ
   お前たちは何を欲しがらないでも
   凡てのものがお前達に譲られるのです。
   太陽の廻るかぎり
   譲られるものは絶えません。


   輝ける大都会も
   そつくりお前たちが譲り受けるのです。
   読みきれないほどの書物も
   みんなお前たちの手に受取るのです。

   幸福なる子供たちよ
   お前たちの手はまだ小さいけれど。


   世のお父さん、お母さんたちは
   何一つ持つてゆかない。
   みんなお前たちに譲つてゆくために
   いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
   一生懸命に造つてゐます。 


   今、お前たちは気が附かないけれど
   ひとりでにいのちは延びる。
   鳥のやうにうたひ、花のやうに笑ってゐる間に
   気が附いてきます。


   そしたら子供たちよ。
   もう一度譲り葉の木の下に立って
   譲り葉を見るときが来るでせう

2012/01/09

空の下で


7、8日の両日は、ボヘミアン・パンチ会議。
会議というか、昨日はE氏も交えて空の下で楽器の練習。

この三人で小さな小さな楽団みたいなものを作れないかな、
なんて話してます。
路地裏や街角で演奏しているような、流しの楽団みたく。
いつかデモで演奏できたらいいな。



わたしは憧れのアコーディオンを借りて練習。
かなりおもしろいけど、
空気を入れる左手と、鍵盤の右手がそれぞれの動きをとるのがむずかしい。
そして重い。
これ腕の筋肉けっこう使う。

同じ音階でも、違う楽器で弾くとまた違って聴こえる。
アコーディオンはあたたかく、ちょっとノスタルジー。
異国の調べがよく似合う。




日が暮れるまで、三人ですきなように音を出して、
こんな曲をしようとか話し合った。
こんなことがすごく楽しい。


わたしは小さい頃、ピアノを習っていたけれど、
よく考えたら人とこんなに合奏するようになったのは、3.11以降だった。
学校の音楽の授業以来してなかったかもしれない。

わたしのピアノの先生は、美人だけど恐ろしく厳しい先生だった。
おそらく世の中の一番怖い教師は、ピアノの先生だと思う。
これはドラム隊の中で数人の意見と一致した。

日本のピアノ教育は基本的にクラッシック楽曲と楽典を教える。
それもバイエル、ブルグミュラー、ハノンと段階があって、
自由にすきな曲を弾ける訳でもなく、他の楽器と演奏する機会もない。
ピアノは基本的にオーケストラの編成に入っていない。
ソロが前提の楽器といえる。
ピアノがひとつのオーケストラなのかもしれない。
ひとつの楽器でオーケストラと対峙できるようになるよう、
ちいさいころから叩き込まれる。

わたしはピアノはすきだったけど、まったくついていけなかった。
音を間違え、暗譜も苦手。音階も聴きとれなかった。
先生が恐くて、間違えるのが恐くて、指に掻いた汗で鍵盤で指が滑っていた。


もっと日本のピアノ教育も、自由になったらいいのに。
もっと音を楽しめる子どもがふえると思う。
おとなもそうだね。
いま、わたしがそうだ。
音楽の歓びを再発見している。

これはすごくおおきなことだ。
音楽は一生、ともだちだな。









2012/01/08

よりみち「ボヘミアン・パンチ 旗揚げの号」



11月のジンギャザで作ったひさしぶりのZINE「よりみち」が、
嬉しいことに売り切れたもよう。
大晦日くらいにLilmagのモモさんから連絡あった。
わぁい、、嬉しいな。
もともと10冊くらいしか作ってないので、売り切れって喜ぶ単位じゃないんですけど、、
でもこのよりみちは今までになく特別なものだったので、
少なくとも10名の方に読んでもらえたのは嬉しい。
手にした方は、どんなことを思ったのだろうか?
なにか思ったことがあったら、お便りくだされば嬉しいです。
お返事します。


この「よりみち ボヘミアン・パンチ旗揚げの号」、
ボヘミアン・パンチとは、3.11をきっかけに出会った zaboten と組んだユニットで、
ふたりで最初に作った旗の制作日記のようなものを載せています。
また巻末に挟み込んだミニ漫画は、漫画と言えるかどうか解らないものですが、
ひさしぶりの漫画で、緊張して描いたものです。


3.11直後、なんだかすごく不安で腹立ちしくて、でも働かなきゃいけなくて、
でもなんでこんなときに働いているんだろう、、?って、ふがいなくて
そんな気持ちが渦巻いているころ、
3.27に銀座であった反原発デモに、勢いで旗を作って参加するまでの話を描いてます。
考えてみたら、旗、このときに初めて作ったのかもしれない。


読んでもらえたらうれしいです。


きょう、急いで作って納品しましたので、Lilmagでも買えるようになります。
よろしくおねがいします。



よりみち 「ボヘミアン・パンチ」旗揚げの号(Lilmagサイトより)


  「3.11がきっかけというのはなんだかシャクだけど、
  あの日以降、わたしの世界はコントラストが強くなり、
  かつては曖昧にしてきたちいさなことも、
  "生きる" ことに直結した選択へと意識が変わってきた日々でした」(本文より)

  2011年3月11日の東日本大震災そして原発事故を経て、

  積極的に脱/反原発デモに参加するようになった原田企画。
  旗と楽器の表現部隊「ボヘミアン・パンチ」を結成した彼女が、

  ステンシルを使った旗の制作を写真入りでレポート。
  失敗も含め、HOW TO として参考になります。
  あわせて、震災とその直後に目にした景色をストーリー漫画化(16頁)。
  個人で試行錯誤し行動するひとのささやかな活動報告。

2012/01/07

凍れる泉

きょう、外灯がついた。
そのほかのいろいろ不備や壊れてるところも
不動産屋さんが修繕してくれることになった。
よかった、、!
地元密着型の不動産屋さんは対応も早いし、ほんとに頼りになる。


暗やみだったところに灯りがつく。
電気が付くって、やっぱりうれしいものだ。
しみじみ解った。
灯火なのだ。


きょうは一日寒かった。
暦でいうと小寒 しょうかん、だって。
冬至から数日たって、少しずつ日が長くなってきたかな。
すこしずつ季節は動いている。
あと数日すれば、日本の暦では、
「水泉動」、“地中で凍った泉が動き始める” という。

いまはまだ、凍った泉。

冷たいと身体も心もこわばる。
それは人間や動物だけでなく、土地や、部屋も同じように思う。
引越して数日経ったけれど、この部屋はどこまでも冷えている。
そして堅い。
ドアも、蓋も、壁も、床も、窓も。
排水溝の蓋も、蛇口も錆び付いて動かなかった。
こんなに早くKURE-556(錆び止め)が役に立つなんて。
一家に一本、KURE-556

どうやら長らくこの部屋には人が住んでいなかったもよう。
そういうのって、解るものだ。
人の温度がない。
記憶が途切れている感じがする。
ずいぶん放っておかれたのだろう。
隣が空き地なだけに、風当たりも強い。
吹きっさらしの野ざらし。
庭の木にも愛想がないの。
かわいそうに。

ずっと凍ったままだったんだろう。

まだ溶けるのに時間がかかる。
わたしもそうだ。
すこしずつ柔らかくなっていこう。
こわばった泉のその底に、手を当てていこう。


リネンの刺繍、ハミングバードで、
来る春を夢見る。


2012/01/05

新しい年 こんにちは


新しい年になりました。

今年はどうしても“おめでとう!”という気分や状況じゃないのだけれど、
それでも新しい年というのは気持ちいいなと思う。
希望があるから。


ということで、この7年も続いたレターも一新してみました。
今までずっとHTMLのタグで打ってきましたが、
ブログを使ってみることにしました。
ブログって便利(今ごろ)!

これまでの7年間のレターはこちらです。膨大!

原田企画のサイトはいちばん簡単なHTMLのタグで作っています。
まったくの素人が作ったアナログ手法によるサイトで、
高度な技術使わず、まるでハイパーでもないので、
HTML= Hyper Text Markup Languageではなく、
“ Lower Text Markup Language ” というタイトルをつけてます。

それともうひとつ、Lower Textとつけたのには、
自分なりの言語/ことばをもって記していこうという想いがあります。


それまで存在しない世界に、
自分の打ったタグによって記号やことばが現れる。
それが無限に続く。
そのふしぎを毎日感じながら書いてきました。
そしてそれは、自分のノートに書いた日記と違って、
インターネットという大きな河に、
瓶に手紙を詰めて流すようなようなものだと思って“レター”とつけました。
とわずがたりな手紙。
そんなふうに7年も“日々のできごと”を書いてきました。
良いことも悪いことも、嬉しかったことも悲しかったことも。


昨年から新年のうつりかわりのなかで、
わたしがどんなところにいるか、
何をみつけたか、
何をおもったか、
書きたいことはあるけれど、たくさんあるけれど、
まだ言葉にならないので、きょうはこのくらいで。


年が新しくなったことで、
わすれちゃいけないこともある。

まだ絶望している人も多くいるだろう。
まったく解決していないこともある。
わたしはどれだけ力を添えられるだろう。

星新一のことばを胸に抱く。

「われわれが 過去から 受けつぐべきものは、ペーソスで、
未来へ目指すべきは ユーモア。」

わたしたちは昨年、人類まれにみる悲劇を目撃し、体験した。
この出来事をわたしはできるだけ吸収し、身に刻み、
これに対抗する力をつけていきたい。

そして、朗らかに生きていきたい。
ゆるやかに、笑顔で暮らしていきたい。

そんなふうにおもっています。
みなさま、
今年も一年どうぞよろしくおねがいします。