2012/02/29

2.29 WHITE DAY

うるう年のうるう日、
いつもとちがう、ふだんは存在しない、
余白のような、ふしぎな日。
こんな日は、何もない状態になってみるのもいい。

最近、いろいろ身に付けすぎるんだ。

そしてそんな白い日にふさわしく、外は一面、雪景色。
真っ白。
白。


雪の日は子どもたちの声で目が覚める。
となりが小学校だから、朝は子どもたちの声がよく聴こえる。
雪の日はとりわけ、子どもたちの声が高く弾んでいるので、
わたしの枕もとにも、鳥のさえずり、よりかしましく声が届く。

雪は声も音も、よく滑る気がする。


引越しと同時に買った野バラが、
あまりの寒さに一時は枯れそうであったけど、
このところ、葉に色が戻ってきた。
小さな葉がいくつも芽を出している。

外は雪でも、春は来ている。

毎日、その小さな芽をみて、
息吹にあわせて、呼吸してみる。

4年に一日にだけでなく、
一日に一度、白くなるときがあってもいいね。







2.28 メガフォンを手に


夜、渋谷のとも企画というスペースで、
監督の早川由美子さんといっしょに
ずっと観たかった映画だ。


2001年6月2日、
ロンドンのど真ん中、パーラメント・スクエアに来たブライアンは、
まずプラカードにこう描いたという。
「イラクの子どもたちを殺すな」
その日から年中無休の抗議活動が始まる。


癌に倒れるまでの八年は、
ブライアンたちを排除しようとする、
イギリス議会やロンドン市警察との闘いの日々だったに違いない。
子どもを殺すな、という至極まっとうなことをいうことが
どうしてここまでの排除を受けるのか、、、
日本の今の脱/反原発運動の現状と重なってみえて、
その理不尽さに歯ぎしりしながら観た。

立ち並ぶプラカード

「原発幻魔大戦」のいましろ先生もそうだけど、
何か声をあげている、自分のできることで動いている人が、
阻害されたり、笑われたりというのは、ほんとうにやりきれなくなる。
で、悔しい。
人々の無関心ほど、高い壁はないな。

けれどそんなシビアな状況にも、
機知を持って抵抗していく、ブライアンとその仲間たち。
その逞しさに心底シビれた。
要は、意志があれば何かになっていくのだ。
意志をもって動くことだ。


プラカードや横断幕、キャンプ、
彼らのロンドンでの占拠をみていて、昨年のN.Y占拠とのつながりを考えた。
決定的な違いは、ブライアンという求心力、
リーダー的な存在があるかないかだと思うけど、
プロテスタ―の年と言われた2011と、
ブライアンたちの動きはつながっていると思う。
そのプロテスタ―の年、
2011年6月18日にブライアンは肺がんで亡くなった。
ちょうど時代が入れ替わったみたいだ。


ほぼ毎日、メガフォンで「殺すな」と叫んでいたという。
無視する市議会員、通り過ぎる人々に向けて。
ブライアンとメガフォン


ブライアンのメガフォンは、きっと多くのひとたちに渡されたんじゃないかな。
誰かひとりにではなく、みんなに。
ヒューマン・マイクロフォンとして。


叫べ、プロテスター。

2.28 ぼくの、わたしの幻魔大戦

いましろたかし著「原発幻魔大戦」/エンターブレイン


 釣り人たちの日常を淡々と描いていた、いましろたかし。
 だが、3.11以降の政府、メディア、官僚、財界の余りのデタラメぶりに
 いてもたってもいられなくなってしまい、連載内容を突然、大転換!
 漫画を通して普通の生活者の目線から、原発そしてTPPに異議を申し立てた!
 さらに実際の国会では、いかなる状況になっているのかを訊くため、
 現役国会議員・田中康夫氏にインタビューを敢行。



いましろたかし先生の「原発幻魔大戦」を読む。
原発事故からの原発ルポ漫画。
原発や放射線に怯え、焦り、怒り、デモする日々。
“いてもたってもいられなくなった”感に、読んでいて胸がしめつけられた。
読み終わっても感動も、爽快感もない、答えが無い。
目の前で起っていることの恐ろしさと、その見えなさの矛盾、
疎まれる怒り、デモでの嘲笑、
空滑りするリアル感、
幻魔な現実。

いましろ先生のtwitter は事故後直後から読んでいた。
事故直後、確かにいましろ先生は福島第一原発を目指して福島入りされていた。
(その時のツイートのいくつかは削除されているみたいだけど)
漫画では「9.11原発やめろデモ」も描かれていた。
この漫画に描かれていることはほぼ、同時進行に起っていたことだ。
漫画全編、原発やTPP、政府、官僚、マスコミへの怒りが描かれてる。
震災の「癒し」ではなく、これだけの怒りを直球で、
しかも商業誌で描いた漫画家は稀有なんではないかな。

それと、
商業誌の連載漫画の内容が、社会的時事を受けて急変したこと、
これ、けっこうすごいことに思う。
作家のいましろ先生の反射神経にも敬意ものだけど、
この漫画を掲載し、しかもインタビューも加えて単行本にした
エンターブレインの英断に拍手。
考えてみたら、新聞の4コマもそうだけれど、
漫画ほど、大衆文化、普通の暮らしと近いものはないし、
漫画こそ同時代性の文芸の極みであって、
風刺漫画は古今東西、漫画の真骨頂なはずだものね。
けれど、いまの大手の出版社、
とくに若い人向けの少年・青年漫画誌、少女・女性漫画誌では、
社会的な内容を扱うのは難しいと思う。
原発問題ならなおさら。
 この本に関わった方、編集の九龍ジョーさん、大変おつかれさまでした。


読み終わって残るものは、爽快感でも感動でも何でもない。
むしろこれからの未来の多難さを感じて身が重くなる。
読んで不快という人もいると思う。
それが現実だ。

原発幻魔大戦、
幻の悪魔は、放射能だけのことじゃなくて、
人々の無関心だったり、出口の無さだったり、戦う徒労感だったり、
そういうみえない、匂いものないものとも、戦っているんだろう。






2012/02/27

2.25 3.11からの軌跡/奇跡


“In The Neighborhood/KUNITACHI POLKA”


きょうは、NNMHのデモ。

デモ後、「くにたちポルカ」で演奏。
寒さと緊張で、おぼつかない指だったけれど、
レコードが回っている間は、魔法がかかる。
なんとか聴いてもらえるものになったような、、気がする。



曲の中で、
3.11以降「うしなったもの」を、
ポルカのみんなから集めて読み上げる。
演奏の時間は5分と短いので、リストのほんの一部。
5分では間に合わないくらい、膨大な量の
ものや、景色や、人や、それらとの関係。
どんなものを失ったのか、をかみしめる。


そして後半、
それぞれの、3.11以降「うまれたもの、みつかったもの」も読み上げる。
こちらも5分では間に合わないくらい、いくつかのこと。

そしてこれは現在進行形である。
いつか、このリストに、
原発のない暮らし、
というひとことが付けくわえられる日が来るだろう。
そのためにわたしは生まれ直している。





「なくしたものリスト」

深呼吸


焚き火
ぐるり
円環的時間軸
大地とのつながり
思いっきりバカになってあそぶこと
くーちゃんと外で遊ぶこと
こどもの遊び声
芝生に寝転んで草をはむこと
風向きを気にしないこと
地産地消
国産の安心
有機農業
直売所めぐり
ガーデニング
雨水利用
堆肥作り
落ち葉プール

親友
政府
民放番組を見ること
メディア
疑わないナイーヴさ
日本という国家への信用
漠然と未来が続くということ
道でなにかを拾うくせ

日本食
だし文化
寿司 海鮮丼
きままに食べ歩き
アイスクリーム
ケーキ
カフェ・オ・レ
カルシウム
裏を見ずに買う自由
食の安心
栄養
免疫力
雨に濡れて踊ること
満月祭
原発を連想しない"福島"
伝統伝承文化
花見て素直にただ美しいと感じる心
窓を全開にすること
海で泳ぐ
カキ氷
秋刀魚
紅葉を見てただ美しいと感じること
初雪に躍る心
雪あそび
ブルーベリー
桑の実拾い
ジャム作り
梅酒づくり
うらの柿を食べること
草木染め
からむし糸採集
栗拾い
自然界との一体感
絶対的な価値観
精神の平安

ぼんやりすること
ひなたぼっこ
毎朝のヨーグルト
なにもない休日

みせかけの絆
絵に描いた暮し
あいまいな家族
健康

なにげなく風に吹かれること
雪景色をきれいだと思うこと
落ち葉の山を踏みしめる
陽に当てた布団に飛び込むこと
はだしで芝生を歩くこと


テレビを信じること
政治家を信じること
公式な発表を信じること
夜ふかし
衝動買い
なにげない買い物

ひとりぼっちだと思うこと
自分が持っていないものを数えること
こころの井戸を覗き込むこと
人生をひまつぶしだと思うこと
出来ることを出し惜しむこと




「うまれたもの/みつけたもの」

生きてる実感
手をつなぐ人
手から生まれるもの
手さぐりの暮し

デモに行くこと
そこで出会ったなかま
つながり
祝祭
エネルギー
太鼓
リズム
音楽のパワー
ARTの力
人を信じる心
引力

勇気


おもいをむねに歩くこと
おもいをむねに笑うこと
おもいを形にすること
歩みを同じくする人々








2012/02/25

2.24 そして、路はつづく

昨日あったことで、つまらないことなのだけど、
夕方、警察に赴き、注意を受ける。
小学生以来、まともに叱られる、というコントのような時間。

叱られても、あの時のよろこびというのは、プライスレスなのだ。

でも警察はやっぱり嫌ね。
身体が縮む。


夜は、camp のトークイベントPARTYへ。
いらしたゲストの方と、じゅんぐりにトーク。
それぞれ明確な思考を持っていて、刺激的な時間だった。
中でもドラッグクィーンの衣装で参上された
ヴィヴィアン佐藤さんとのお話は、わたしの懐へずんっと入ってきた。
思考と身体と表現とが、三位一体であることの強さ、
そんな一本の大きな幹を持った方だと思った。

ヴィヴィアンさんが言われていた、
「皮膚(への化粧やタトゥー)から衣装、
衣装から建築(部屋の内装、空間)とは、
その構造的なところでつながっている」
というお話が印象的だった。
そしてすごく腑に落ちたことがある。

わたしは引越してきてから、
カーテンやじゅうたんを買う経済の余裕がないので、
自分のつくったポンチョや布を敷き詰めたり、吊るしたりしているのだけど、
そんな部屋にいると、
部屋と、服と、自分の身体との集合点というか、
それらがつながってくるというか、
互いに作用しあうところに居る感じがする。
カーテンとして吊るしている布を使いたいときには、
その布をハサミで少しだけ切り取って使うのだけど、
そうすると、なんだか自分の身を切っているような、そんな妙な感覚がある。
まるで自分の羽で反物を作っている、鶴の恩返しの鶴のような。
それって、たぶんヴィヴィアンさんが言われていることなのかもしれない、と思った。
感覚的なところの話なのだけど、、
わたしはやっぱりそういうことかって、ひとり合点したのでした。



それにしても帰り道、
トークイベントが終わって、ほっとした。
人と話すことはすきなのだけど、
イベントはやはりわたしは向いていないな。
そんなこと前から解っているのだけど、、
きょうのPARTYもそうだし、毎回自分の喋れなさに打ちひしがれる。
そしてその喋れなさというのは、自分の実の無さだと思え、
帰り道は身体がぐっと重くなる。
自分の居る場所、立っている場所に不安になる。
わたしはどこにいるんだろう。


一日のおわりに、
なんとかBARに返却するものがあったので、
またしても立ち寄る。
井手さんの手料理がやさしくて、ようやく一日の緊張がほぐれた。

夕方から、ずっと緊張していたみたい。
“お布団のようなもてなし” 料理に、きょうは救われたな。


あしたは「NO NUKES! ALL ST★R DEMO 3」に行きます。

今のわたしは、路を歩くことが
自分の実体を探ることになっている。
それは たしかなことなので、そうする。


デモ終了後、
友だちと“くにたちポルカ”としてささやかな演奏をします。

いま、外は少し雨が降っているもよう。
あしたはどうか、晴れますように。

2012/02/23

2.23 DRUMS and PARTY

お知らせふたつ。
ひとつは、きょうのきょうですが、
本日20時より、高円寺の「なんとかバー」は、
「怒りのドラムデモ」feat.「憩いのドラムバー」です。


【なんとかバー feat. 怒りのドラムデモ】
[日時] 2012年2月22日20:00-29:00
[場所] 東京・高円寺 なんとかバー
 (地図はコチラ

音楽評論家の鈴木孝弥シェフを筆頭に、
ドラム隊の面々が料理の腕を振るいます。
こうやさんや、他のドラム隊のみなさんが作る料理は
ほんとうに美味しいのでぜひ食していただきたいです。
オールナイトで映像も流れます。
杉並デモの打ち上げにもなってしまうかも?
お店で楽器は叩けませんが、音楽や食事を楽しみたい方、ぜひどうぞ。
わたしはこうやさんの助っ人、
そして山梨のワインを持って行きます。




そして、お知らせもうひとつ。
これまた突然だけれど、明日金曜日、
campでパーティすることになりました。
campとは、あの野外のキャンプではなくて、
comos-TVのメンバーでもある井上さんの呼びかけに、
“同時代のアートについて考えることを目的”として
さまざまな人たちが集まって話す催しのこと。
催しというか、「機能」みたいなものかな。

最近、ほぼ週末はデモとか抗議とかで動いていて、
めっきりアート事情に疎くなってきてしまったわたしが、
ここに参加させていただくのはちょっと(嘘。かなり)不安なのだけど、
むしろそういった動きをしているものからの視点で、
今の同時代の美術に関わる人たちと話ができたらいいなと思う。
自分の動きだけの中だと、どうしても視野は狭くなるし、ことばも偏るので
自分と違うことをしている方と話をする機会というのは貴重だなと思う。
パーティというかたちで、いろんな人と会って、
表現とか、アートとか、今どんなにふうになってるの?って話ができたらいいな。

わたしは、やりきれないときや、励まされたいとき、
そんなときにはやっぱり音楽とか、美術とか、文学とか、
そういうものが拠り所になっていて、
いちばんこころの奥にある、感情の発露の泉でもある。
足りない何かが満ちてくる。
沸き上がる。
そんな沸き上がるものを、今の社会や、
今の人々の運動とつなげれらたらよいなと思っている。
ドラム隊もそのひとつだし、ボヘミアンパンチもそのひとつ。
すごく陳腐な言い方だけど。

自分の見ていること、していることが、アートがどうかわからないけれど、
いまわたしが垣間みているデモの多様性の話や、
そこで何が起こっているか、
そんなことを金曜日に会う人たちと話ができたらうれしい。

井上さん、
声をかけてくれてありがとうございます。


それにしても、テーマが
「グッド/ジェンダー/ガラパゴス」
って、、とっかかりが難しい。
ちゃんと話せるかな。



みなさん、
憩いのドラムバーも、パーティも、
よければあそびにきてくださいね。


//////////
PARTY #2 「グッド/ジェンダー/ガラパゴス」
//////////

■トークイベントの新しいあり方としてパーティを考えてみたいと思っています。

<ゲスト>
白木麻子(アーティスト)
池崎拓也(アーティスト)
ヴィヴィアン佐藤(非建築家/美術家/ドラァグクイーン)
加藤慶(相模原市民ギャラリー美術専門員)
冨井大裕(アーティスト)
成相肇(府中市美術館 学芸員)
真子みほ(練馬区立美術館 学芸員)
林加奈子(アーティスト)
原田淳子(原田企画)
藤井光(アーティスト)
星野太(美学/表象文化論)

日時:2012年2月24日(金)18:00~22:00
場所:gsgp 女子美アートセンター準備室(神奈川県相模原市南区相模大野6-7-9 7階-702)[地図
前日までの予約:500円(食事付き) 当日:1,000円(食事付き)

<タイムテーブル>
18:00-19:00 ハッピーアワー
19:00-21:00 短い時間(10〜30分)の複数のトーク
21:00-22:00 フリートーク

【 プロフィール 】
白木麻子|Asako Shiroki
1979年東京生まれ。2008年 東京藝術大学大学院美術研究科後期博士課程修了。東京藝術大学大学院美術研究科非常勤講師/千葉大学非常勤講師。最近の主な個展に、「新世代への視点 画廊からの発言'11 再生される世界―生活の悟性」(gallery21yo-j, 東京, 2011)、 「不確かさの感触 – Touching Uncertainty」(SKKY | iTohen, 大阪, 2011)、 「白木麻子展」(feel art zero 0, 名古屋, 2011)など。グループ展に、「–IMMEDIATE ISSUE–」(CSID showroom Medamothi, スイス, 2011) 、「皮膚と地図IIー記憶と時間への近づき方」(新宿眼科画廊, 東京, 2011)など。
http://www.asakoshiroki.com/
池崎拓也|Ikezaki Takuya
1981年鹿児島県生まれ。2005年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。 2008~2010年 中国北京中央美術学院造形部実験芸術科研修終了。主な個展に、「瞼の裏側とその空虚マップ」(新宿眼科画廊, 東京, 2009)、「その時、瞬きしました」(Loop Hole, 東京, 2007)など。グループ展に、「4人展 -絵画-」(シュウゴアーツ, 東京, 2011)SLASH/04「飛ぶ次元 ‒found a pocket-」(Island Medium, 東京, 2011)、「皮膚と地図-4名のアーティストによる身体と知覚への試み」(あいちトリエンナーレ2010 現代美術展企画コンペ入選企画展)など。
http://www.ikezakitakuya.com/
ヴィヴィアン佐藤|Vivienne Sato
あらゆるジャンルを横断し独自の美意識と哲学で「トーキョー」と「現代」の織りなす綾を読み解く。バーニーズNY、ヴーヴクリコ、LANVIN、MILKFEDなどのディスプレイも手掛け、野宮真貴や故山口小夜子,故野田凪など個性派美学を持つ女性との仕事も多くこなす。趣味はタランチュラ飼育、ブリーダーを目指している。
加藤慶|Kei Kato
1981年生まれ。2008年より相模原市民ギャラリー勤務。相模原市内を中心に展覧会などを企画。「おかえりアーティストただいま展」(相模原市民ギャラリー, 09)、「心の平和」(Art Center Ongoing, 09)、「女神とはやぶさ-高校生とJAXAによる映像ショー-」(銀河アリーナ, 11)など。現在、相模原市橋本に今春オープン予定の「アートラボはしもと」にむけて準備中。
冨井大裕|Motohiro Tomii
1973年新潟県生まれ。東京都在住。1999年武蔵野美術大学大学院造形研究科彫刻コース修了。日本大学芸術学部美術学科助教/女子美術大学非常勤講師。これまでに個展・グループ展多数。最近の主な展覧会に、個展「色と形を並べる」(ラディウム-レントゲンヴェルケ, 東京, 2011)、「STACK」(NADiff Gallery, 東京, 2010)、グループ展「MOTアニュアル-Nearest Faraway」(東京都現代美術館, 2011)、「冨永大尚+末井史裕+冨田大彰+森井浩裕+末田史彰+森永浩尚」(switch point, 東京, 2010)など。2008年3月より、茨城県のアーカス・スタジオにて、個展「企画展=収蔵展」を作品が朽ちるその日まで開催中。現在、「RYUGU IS OVER!! ―竜宮美術旅館は終わります」(3月18日まで)にて作品展示中。
http://tomiimotohiro.com/
成相肇|Hajime Nariai
1979年生まれ。府中市美術館学芸員。関心領域は戦後の日本の現代美術を中心とする文化(岡本太郎とか石子順造とか)。主な企画展に「夏休み子どもびじゅつかん ミマクル・ミラクル」「石子順造的世界 美術発・マンガ経由・キッチュ行」(2012年2月26日まで開催中)など。
真子みほ|Miho Manako
1982年静岡県生まれ。2009年女子美術大学大学院美術研究科芸術文化専攻芸術表象研究領域修士課程修了。2008年より練馬区立美術館非常勤学芸員(教育普及事業担当)。担当企画展「PLATFORM2011浜田涼・小林耕平・鮫島大輔ー距離をはかるー」(2011)、「滝瀬源一ースクラッチボードに見る60・70年代の大衆文化ー」(2011)
http://www.city.nerima.tokyo.jp/manabu/bunka/museum/kyouikuhukyu/index.html
林加奈子|Kanako Hayashi
1981年大阪府生まれ。東京藝術大学大学院美術研究科修士課程(先端芸術表現科)在籍。2010年10月から2011年10月までロンドン芸術大学 チェルシーカレッジに留学。国内外の都市空間の中で、それぞれの場所の歴史や記憶を浮かび上がらせるような行為や仕掛けを展開。主な展覧会に「皮膚と地図」(あいちトリエンナーレ2010 現代美術展企画コンペ入選企画展)、「広島アートプロジェクト2009」(吉島, 広島)、「混浴温泉世界 わくわく混浴アパートメント」(清島アパート, 大分, 2009)など。 現在2012年2月18日-3月24日まで、gallery αMにて個展「成層圏 vol.7 行為の装填ー林加奈子」を開催中。
原田淳子|Junko Harada
準備中
藤井光|Hikaru Fujii
1976年東京都生まれ。同地在住。パリ第8大学美学・芸術第三博士課程DEA卒。1995年渡仏。2005年帰国以降、現代日本の社会政治状況を直截的に扱う表現活動へと転換。
http://hikarufujii.com/
星野太|Futoshi Hoshino
1983年生まれ。日本学術振興会特別研究員、東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」共同研究員。専攻は美学、表象文化論。現在は偽ロンギノスの研究を中心に、西洋における美学/修辞学の概念としての「崇高」の系譜学的調査をおこなっている。近著に「媒介の擁護」(『Expanded Retina|拡張される網膜』カタログ、BAMBA BOOKS、2012年)、「崇高なる共同体」(『KAWADE道の手帖 大杉栄』河出書房新社、2012年)など。
http://starfield.petit.cc/


2.23 NUCLEAR POWER? GRRRRRRRR!!!



会ったことないけれど、
twitter でしかやりとりしたことない友だちが、
N.Yで3.11アクションをしようと日々奮闘している。

その3.11のデモではライヴもあって、
日本のフライング・ダッチマンの“Human Error”もカヴァーされるみたい。




Kenny Wollesen & The Himalayasによるカヴァー、良さそう。
聴いてみたい。

twitter 読むと、N.Yもデモの申請って大変そう。
がんばって、って日本からエール贈りたい。
というか、こっちもがんばらないといけないね。



原発いらにゃい猫、かわいい。
NUCLEAR POWER? GRRRRRRRR!!!



























The March

The March:

1:00 PM Gather at Union Square (North side)
1:15 PM Announcements
1:30 PM “Human Error” performed by Brown Rice Family, The Himalayas and more (Original by Frying Dutchman
2:00 PM The March departs Union Sq – heading north.
4:00 Disperse at Central Park

Who can participate?

Everybody. We encourage diversity. Nuclear disasters affect all aspects of life.
The organizers will show solidarity with those who are engaged in reproductive care. You too can by dressing up as: pregnant women, mothers, fathers, maids, daycare staff, nurses, part-timers, madams, and anything you feel fit.
Even if you don’t bring anything, we will have extra signs and balloons for your enjoyment.
Please share your own anti-nuke activities, petitions, donation etc.
It will be a long (nearly 2 hours) walk. Retiring in the middle is okay. Comfortable shoes snacks and water are recommended.

2012/02/20

1.19 ENTER THE SUGINAMI

、、、(きのうのレターの続き)ということで、
きょうは杉並デモに行ってきました。

最近、旗とかスタッフとかで太鼓を叩くのも減っていたので、
きょうは思いきり、存分に、自由に、太鼓を叩いて、
原発への怒りをあらわし、
いっしょに歩く人たちへのエールと、
脱原発、と声をあげた街の人たちへの拍手と、
車イスで沿道から手をふってくれたおばあちゃんに喝采を贈った。

きょうの杉並デモはDJサウンドカー以外にも、
カラオケカーとか、移動する「なんとかバー」とか、
杉並の街や人々をそのまま露出したような、てんこ盛りデモ。
杉並の商店街のご老人たちも大変ハッスルされたらしい。
子どもたちもたくさん歩いたらしい。
カラオケで多くの唄が歌われたらしい。

全部みてないけど、
そんな街と人とデモが交錯している空気が、
行く路、行く路、漂っていた。


すばらしい。
こんなすばらしいことがあるかってくらい、気分がよかった。

きょうのデモだけで原発問題は解決はしないけれど、
こういうことで人々が励まし合うっていうのが重要なんだと思う。

歩く道すがら、
脱原発に賛同の印である黄色いものをもって沿道に立っている方や、
デモに参加できないかわりに、
店頭に黄色いものを飾っているお店をいくつもみかけた。

警察の執拗な警備に腹は立ったけれど、
そんなくだらないことよりも、
黄色いものをみつける よろこびのが数倍わたしを震わせた。

そして、
高円寺に住むドラム隊の友だちの家のベランダに、
大きな黄色いシャワーカーテンが揺れているのをみたとき、
美しくて涙がでた。
そこにある意志の凛々しさ。
未来に向かっている清々しさがあった。
太陽の光をおもわせる、黄色はやっぱり、
しあわせの色ね。

歩きながら、
「幸せの黄色いハンカチ」(傑作)の高倉健になった気分だった。

杉並燃ゆ。

次はどこかな。


とりあえず、、、、きょうはゆっくり眠ろう。

2012/02/19

1.18 怒る自由

脱原発杉並(副題は自由)


あしたは脱原発杉並デモ。
さすがは素人の乱を許容する杉並区、
政党や団体を問わない〝有象無象〟の集団の、有象無象力がハンパない。
まずこのサイトの(副題は自由)っていうのがいい。
それがこのデモの自由さを物語ってる。

誰でもすきなように解釈して参加してよ、ってことでしょう。
この手放し感、すごく大切だと思う。
自由は、人を自律させるから。

最近、3.11が近づいてきたからか、
またデモと祝祭性について、遊びでデモするなとか、不謹慎だとか、
あと自己顕示欲のために使うな、といった意見を目にするけど、
わたしはデモのやり方もそうだし、デモに行く行かないもそうだし、
人がどのようにデモに参加するかは、その人の究極の自由だと思う。
どんな形で追悼しようが、どんな形で怒りを表現しようが、
それが真摯なものであるか、遊びなのかは、
その人のみが判断することで、それを他人が外から決めることはできないと思う。

とくにこういった人が感情をどう持つか、表現するかは、
思想の自由という、人のいちばん根本的で繊細な部分なところだと思うので、
それを「不謹慎」とかいって、他人が判断をするところにないと思う。

わたしはほんとうに哀しいとき、笑ってしまうことがある。


そして、わたしが「不謹慎」ということばに感じる違和感は、
その「不謹慎」の根拠になっているような第三者的な判断は、
実体もなく、実はその人の意見や感想だったりする。
だったら「○○はやめろ」って言ってくれればいい。
その方が話し合いの地平がいっしょになる。
その「○○やめろ」と直接話し合いができないこと、
第三者的な「不謹慎」ということばに主体性を預けてしまうこと、
そこにわたしはとても違和感があるし、
その主体性を持てなさが無自覚を助長し、
その無自覚さが今の原発のある暮しを作ってきたのだと思う。
今までのわたしもそうだったように。
だからわたしは遠くから「不謹慎」と言っている人には、
自分の目でみて、自分のことばで反論してほしい、と思う。
わたしは違う意見であっても、
その人のことばで反論してきた人とは話し合いたい。

ヴォルテールのことばじゃないけど、
“私はあなたの意見には反対だ、
 だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る。”
というのはその通りだと思う。
こんなふうに接したいし、自分もありたい。

みんな、すきなようにして、すきなように言えばいい。
デモでなければいけないこともなく、
デモ以外にも、いろんなことできる。
有象無象なやり方をすればいい。
黙っていうこときくことない。
それでもって、自分がわいわい言う分、
自分の意見を押し付けない寛容さを持ちたいものだと思う。
戒めとして。


、、ぐちゃぐちゃ書いたけど、
あしたは杉並デモに行きます。

素人の乱を超える、有象無象のデモになるといいな。
それが杉並だけじゃなくて、お隣からお隣へ広がればいい。
みんなもう、怒って、歌って、叫んで、踊ればいい。





















2012/02/17

2.17 流れよ、S.S.M



とても春が近づいているふうにも思えない気候なんだけど、
街のお店には鮮やかな苺がならんで、
ひとあし先に春を告げてる。


季節のものには、その季節をむかえる力があるものだ。
その赤色にそっと力をおすそわけしてもらう。


苺をみると、祖母を思い出す。
甘いものが良いものと信じて疑わず、
祖母が出す苺にはいつも砂糖とミルクがたっぷりかかっていて、
親のかたきのように甘かった。
それがわたしのおやつだった。

幼いころはそれを毛嫌いしていたけれど、
最近はその甘さが懐かしい。
甘さが身体を包んでくれる。

苺を煮る。
少し、甘くして。
わたしはものを煮る音がすきだ。
おいしくなるようにって待っている時間もすきだ。

心臓が、1、2、3、、と数をかぞえはじめる。

窓からこぼれてくる冷たい風も、
風の音も、Sweet Soul Music に変える。

2012/02/16

2.15 Nuclear Nation 銀幕のこちら to むこう




友だちが今年のベルリン国際映画祭で、
原発事故後の福島県の双葉町を捉えたドキュメンタリー映画、
NUCLEAR NATION」(舩橋淳監督)が上映されてたと教えてくれた。
双葉町の他にも、原発を巡る日本の動きとして、
脱原発運動も撮影されたらしく、いつか解らないけど、
野菜デモの様子と、野菜デモに参加していた わたしも映っていたらしい。


今年のベルリン映画祭では、「NUCLEAR NATION」以外にも、
日本の東日本大震災や原発事故を描いた作品も数本上映されたらしく、
岩井俊二監督「friends after 3.11」や、
藤原敏史監督「無人地帯」が上映されたよう。


  『無人地帯 No Man's Zone』(2011)





映画が世界に向かって語り始めた。
その銀幕の中をわたしたちは突き進んでいる。
わたしたちが歩くことで映画ができる。
それが今は可能になっている。

ベルリンにいた世界の人々は、
これらの映画をどのように観たのだろう。
銀幕の向こうがわ、と観ただろうか。

銀幕を飛び抜けて、観てくれた彼/彼女らと話がしたい。
このもどかしさをどうしたらよいだろう。

「Nuclear Nation」を撮影した船橋監督、
自身のブログにあった、共同体についての文章を読んで、はっとした。

この映画が真に捉えているのは、(たぶん)双葉町じゃない、
「主体性を失った無意識」 の主体、わたしたちだ。
双葉町の切り返しショットは、こちら側の わたし。


あの福一の監視カメラを指差した、あの指が示すもの、
それと同じだ。

映画を観てみたいと思った。
観なければいけないと思った。
そしてベルリンでどんなふうに映画が捉えられたのか、
話を訊いてみたいと思った。

銀幕のこちらと、むこうをつなげないだろうか。

監督に連絡をしてみた。
、、観られるだろうか。
観られたら嬉しい。

そして尊大なわがままを言えば、
来る3.11の日、手探りで失われていた主体性持ち、
追悼と怒りのために歩く人々の姿を、船橋監督に撮って欲しい。



主体性を失った無意識に向けて
    震災後の日本で何が描かれていないのか。
   それをずっと考えている。
   
   いろいろな課題・・・まだまだ見えていない現実に想像力を巡らせてみる。
原発労働者の現実・・・どんな人たちがあそこで働いているのだろう。
日本の原子力政策が、どのような犠牲の下に成立してきたのか。
50年代〜60年代に自民党と正力が、いかにマスをコントロールし、
「クリーンエネルギー」と謳う原子力導入にたどり着いたのか。
これらは報道の記事やニュースを見れば、事実としては把握できる。
しかし、その実感が限りなく薄い。
この薄さが問題なのではないか、とこの頃思うようになった。
 
原発のある町・福島県双葉郡双葉町。 
箱物の体育館や図書館が交付金により建てられ、仕事を与えられ、
しかし40年後には町そのものがなくなってしまうような、
そんな原子力発電所を持つことがはたして「恩恵」だったのか。
全てを失ってみて、漸くわかった。
 
そう、双葉町の町長は僕に語った。
双葉町から奪い去られたもの。
それはおそらく、自分で判断し、築き上げてゆく共同体としての価値ではないか。
自分たちが、生きてゆく環境を、雇用・保険・福祉を自分たちで生み出し、
少し時がたったら本心が変わってしまう権力の言うなりには決してならないこと。
そうした、精神的なインディペンデンスと二本の足できっちりと立って歩むことが出来る
共同体の生きる力(それは明治中期までは確実に存在していた!)が、
原発の立地地域から、長い時間をかけ、
少しずつ、 しかし、着実に根こそぎ奪い去られていったのだ。
僕たちが都会で贅沢な消費をむさぼっているときに、
一方、地方ではどんな犠牲が強いられいたのか。
日々の責任をまったく意識していなかった僕たちの怠惰な精神、
主体性を喪失した無意識がそこにある。
 
ここにあるのは、中央の繁栄と地方の過疎という根源的問題。
僕の感じる実感の薄さとは、中央と地方の物理的な距離によって
うやむやに消失しているこの大きな、大きな問題から来ているのではないか。
なにごとも中央の価値が、下々までコントロールを及ぼすとき、
人の欲望は周辺から中央へと向かうだけの一方向的世界となる。
もっと複数のリゾームが同時共存する合衆国に、
日本の意識構造を変えてゆくべきではないだろうか。
単数性ではなく、多様性を是とする社会として。
全員が意見を同じにしなくて良いのだ。
   それぞれの共同体でそれぞれの価値を生み出し、互いにリスペクトしてゆく。
  そんな価値観の多様性を許容する社会にシフトすればいい。


  がんばろうニッポンの裏側を見つめると、
  日本の一義的精神構造の問題が浮上してくる。
(「Deep In The Valley 舩橋淳の映画と批評」)
 The visible and the invisible disaster: Nuclear Nation by Funahashi Atsushi

2012/02/14

2.14. I wish

Blossom Dearie - I Wish You Love

“春には青い鳥があなたの心に歌を届けてくれますように
そしてそっとくちづけてくれますように
だけどそれよりも、
あなたのそばにいつも愛がありますように


7月の昼下がり、
木陰で飲む一杯のレモネードがあなたをひと時涼しくしてくれますように
あなたが豊かでありますように
それよりもあなたが健やかでありますように
あなたのそばにいつも愛がありますように

……


嵐の時もあなたをしっかり守ってくれる場所がありますように
居心地の良い暖炉があなたを温めてくれますように
雪が舞う寒い日にも
あなたのそばにいつも愛がありますように”



 I Wish You Love

2012/02/13

2.11 RE:VIVE NIGHT

きょうの怒りのドラムデモは、初めてスタッフとして歩いた。
そしてデモの最後尾にいて、初めてトラメガでコールした。

始まった頃、後ろの方は
ドラムや鳴りものを持った人もいなくて、
先頭の賑やかさに比べたら少し静かな感じだったけれど、
そのうち少しずつ、声が重なり、
そこにドラムや鳴りものを持った方も少しずつ加わり、
わたしも最初は聴いていただけだったけれど、
思わずトラメガでコールしていた。
今まであんなに抵抗あったのに、、
気づいたら、時々、サークルになって声を出し合っていた。

○○をしたくないとか、実は思い込みで、
自分が何をするか、何ができるかは、
その場で生まれる流れで決めることなんだ。
要はグルーヴなんだ。

そして、
わたしはいつもは先頭でドラム叩いたり旗を持ったりしていたけれど、
後ろからみるデモというのは、また違う景色だった。
わたしは今回、先頭のバナーを友だちと作った。
そこにはこのデモをこうしたい、っていうイメージがあった。
その先頭と、この後ろはまた違う。
先頭を歩く人と、後ろを歩く人もまた違う。
彼らがなぜ後ろを歩いているか、そのことを考えた。

そしてその彼らと呼吸を合わせることの大切さ、
そんなことが少し解った。
声を出し続けて、喉が痛いけど、
その解ったことは、わたしが最近見失っていた部分で、
デモが自分たち、主催側のものでも誰でもなく、
みんなのものである、という基本的なことを教えてくれた。


そんなわたしがこの日感じたことを、
ドラムデモに参加された石丸元章さんの文章に書かれているような気がする。
そう、こういうことなんだ。


   “きのうさ。歌舞伎町ついて、どんちゃん!どんちゃん!すごい音で。
  ツイッターで、見っけてて。
  きのう、ドラム叩きながらの、鳴りものデモが、あったんだよ。
  一番街~区役所通り超えて、ゴールデン街の小路が、最終地点で。


  2012年2月11日、夜のはじめの時刻――。
  その日の、その瞬間だけの、普段は見せない、歌舞伎町の、
  突出した姿としてのデモがあって。
  とうぜん、飛び込んで描いてきた。


  わたくし、が、瞬間に切り撮りたかったアングル、というのがじつはあって。
  デモの行列を、隊列に参加している、最後尾からにある視線から、描いてみたかった。


  わたくし、現在の、デモへの視線は、先頭のさらに先に立ち、
  そこから振り返って先頭を行くものを正面から切り取る…ではないからね。
  意味わかるよね?

  春風に原発デモの最後尾


  新宿の春塵とデモとクラクション


  デモ隊をフルーツの夜照らしけり
  
  新宿のデモ隊とあり紀元節


  デモ隊、というのは、気づかないまま死んでる連中を、ぶっ生き返す!ための、
  社会的な葬送の列なんだ。”
  (石丸元章 twitter)

-----------------------------------------


  きょうは夜デモだ。バナーをライトで照らしださなければ…。
  素人の乱「原発やめろデモ」などでひとつのブロックを占めるまでになっていた
  ドラム隊が独立し、デモを主催するようになった。
  簡単にいってしまえばそういうことだが、そう簡単じゃない。
  そもそも、ドラム隊にリーダーはいないし名簿があるわけじゃない。
  リズムが他のリズムと呼応するように、
  反原発デモでスネアを叩いていた人がバスドラムの人に呼応し、
  またそこにトランペットが飛び入りし…と次第にリゾーム状の楽団になり、
  「ドカドカうるさすぎるマーチングバンド」と出来あいの名前が付けられただけ。
  それだってRCサクセションの曲名の模倣に過ぎないし。
  だけどデモ主催者はいて、警察対応のスタッフもいて、
  ぼくみたいの毎回参加するファンもいる。
  500人ほどの隊列にドラムが一カ所に固まらないようメインのドラマーを
  二カ所に分散配置するなどの作戦も練られる。
  まあイルコモンズ氏と“普通のアナキスト”の音楽ライター氏がいるところだ。
  最近は、打楽器の音ばかりで、主張が消えてしまっている、
  ということでコールが映える打ち出しかたを工夫したりしている。
  不真面目に捉えられかねないほど、表現が突出しているデモなので、
  しだいにピエロの格好で御馴染みの“クラウンアーミー”や
  大小色彩も様々なフラッグが中空を舞うパレードのようなデモになっている
  (写真は夜デモだから目立つように電飾に照らされたバナーbyボヘミアン・パンチ)。
  つぎはどんな作戦が練られるのか、それは誰にも判らない。
  街の風景が異化され、ワンダーランドが現れる。
  ある意味、デモの原点に立ち返っているといえるが、
  中心が不在なので、非常に今様のデモなのかもしれない。
  (写真、テキスト:一色こうき)

2012/02/10

2.10 怒りのドラム DRUMS OF FURY

2012年2月11日土曜日
集合時間 17:45
集合場所 柏木公園集合 (新宿区西新宿7丁目14) JR新宿駅から徒歩7分
デモ出発 18:00 


昨日締め切りだった、
原発の是非を問う住民投票の実施を請求する署名について、
石原都知事は「作れるわけない。作るつもりもない」と答えた。
2月9日までに約30万人の署名が集まったというけれど、
都知事はこの30万人の意向をひと言で潰した。

この署名に関して、
わたしは単に名前を連ねただけだけれど、
わたしの友人たちは受任者となり、9日のぎりぎりまで駆け回っていた。
今までデモとか、抗議とか、
そういう政治的なことに関わってこなかったような友人たちも、
初めて立ち上がって署名を集めた。
知り合いのお店も受任者に呼びかけて各区の署名用紙を置いた。
場合によってはお客さんからクレームがつくのも覚悟して。
先生をしている友だちは生徒に呼びかけた。
そんなこと、初めてしたと思う。
そして慣れない声かけをして、時々みなで集まって集計作業をした。
そんなふうにみんなで集めた署名だ。
わたしはこの署名で、
まわりの友だちが自分たちの暮しを変えようと、
慣れない署名活動をしているのをこころからうれしかった。
敢えて大げさに言わなかったけれど、
彼らが立ち上がっているのをみていて、
わたしはデモでがんばろうと思った。


きょうは、胃腸も調子悪いし、口内炎も痛いから、
明日のデモにそなえて、ゆっくり身体を休めようとしていたのに、、
この一報で怒りでひっくり返りそうになった。
おかげでものすごい早さでタマネギのみじん切りが出来た。


、、、なめんなよ。

この偏見に満ちた独裁者の都知事の頭には、
いまだに反/脱原発運動は、ヒステリックで無知で野蛮なものの理論らしい。
(「石原慎太郎『日本よ』原発に関するセンチメントの愚」)
なんて偏見に満ちた、粗野な理論なんだ。

“人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、
一見理念的なことに見えるが実はひ弱なセンチメントに駆られた
野蛮な行為でしかありはしない。”

こんな世界規模の事故を経験してこの認識、、。
東京都民として、世界に恥ずかしい、、。
人間だけが持つ英知、その奢った言い方がもう恥ずかしい。
その人間の奢りがどれだけ環境と生態系に悪影響をもたらしたのか、、
自分たちの首を絞めているのも解らない、そんな英知なんかいらない。
野蛮で上等。

まったく保安員は、 ぜんいんあほ だし、
こんな大人たちに未来はまかせておけない。

街の野蛮なオスカルたち、出ておいで。
ブリキの太鼓を叩いて歩こう。
映画より、もっと暴れてしまえ。



ということで、
怒りに震えつつ、明日を迎えます。
わたしはドラムデモの準備で参加できませんが、
明日はドラムデモの他に、代々木・原宿でも
全国一斉!さようなら原発1000万人アクション」があります。


では、あした、
新宿でお会いしましょう。



2.9 太陽の あした


すみれ。
どんなに寒い日でも、めげずに咲いてる。
健気でかわいい。


きょうは天気が良いので、外で少しのんびりした。
のんびりするつもりはなかったのだけど、
日差しが、あんまりあたたかくて、
木々もさらさら光ってみえて、
そのままぼうっと眺めて、動けなくなってしまった。
光の粒子が眩しかった。


背中に太陽の熱。
熱に包まれる。
人間も太陽の光で栄養が作れたらいいのに。





 夕暮れ。
毎日毎日、同じようで違う夕焼け。
毎日毎日、太陽があしたへ帰っていく。



2012/02/09

2.8 みらいは こちらがわにある




大飯原発の再稼働反対行動が経済省前であるというので、参加。


勢い、あまり着込まず飛び出したので、
震えて旗を持っていたら、
となりにいた方がカイロをくれた。

雪が舞うような寒さのなか、
ひさしぶりに声を出した。

こういう抗議にくると、
そこに集った人々の怒りや悲しみの強さで、
胸がつまってしまう。
そしてその声の届かなさに、憤りで潰れそうになる。
けど、
ここが肝心なのだ、と思う。
踏ん張りどころなのだと思う。



誰かがスピーチで、
ほんとうの公聴会、公に開かれた会は、
この市民が集まっている路で行われるべきだ。
いまここに思想を超えて集っている市民が、未来をつくっていく、
未来はこちら側にある。
というようなことを言われていた。

そのとおりだと思う。
みらいは、こちらがわにある。














2.8 胸に いだくもの



和田誠さんの反原発ポスターが、すばらしい。
しずかに、じいいんっと、胸にしみてくる。


画の力ってすごい。
ことばもいらないくらい、
大切なものが何か、伝わってくる。
これをみたら、自分がどうすべきか自ずと解ってくる。


その胸にいだくもの、
守るもの、
守りたいもの、
その姿、
その強さ、
そのうつくしさ。

2012/02/04

2.4 出よ、路上の楽団






今年に入って、
わたしと友だちのzabotenさんとでしているボヘミアン・パンチと、
ドラム隊のえりかわさんと三人で始めた 小さな楽団が、
いつのまにか数人の友だちが集まって、
なんだか不思議な楽団、 “くにたちポルカ”になりました。

あしたの節分デモ、
放射能はいらねぇ!仮装!変身! 節分デモンストレーション in くにたち
で、初めての路上演奏です。

今年わたしは、大きな街のデモの他に、
こういう街角でしているような掌サイズの楽団で、
小さな街や、どこかでしているデモや抗議活動に、
音楽で花を添えられればと思っています。

そんなわたしの希望に、こうして人が集まって、
音楽を奏でられることが心から嬉しい。
ことしは、こういう希望を手に携えて抗議をしたい。
怒りはもちろん、心に持ちつつ。

あした12時くらいから国立駅前でのんびり演奏を始めます。

放射能に怒っている方、
そして“原発いらない”と思っている方、
おかあさん、おとうさん、ちびっこ、おばあちゃん、おじいちゃん、
犬、猫、鬼、バケモノ、怪物、
どんな方でもどうぞお越し下さい。
いっしょに街を歩きましょう。

2012/02/03

2.2 おやすみ、着ぐるみBOY



90年代、
アートや音楽、文学、ファッション、etc を斜めに走る
“オルタナティヴ”という世界を知った。
マイク・ケリーはそこにいた。

汚さに美しさを、
ハイ(art)をローに、
チープをクールに、かえること。

無機物に魂を与えること。

それがロックでパンクだってこと、
に、どきどきした。
世界に触れた気がした。

いくつかの汚い、かわいくない、美しくないぬいぐるみは、
マイクの分身だろう。

そしてそれは、わたしでもある。



おやすみ、
着ぐるみdirty boy。
もうダンスは終わった。

誰かがあなたを想って、また新しいダンスを踊るだろう。
ゆっくりおやすみ。

2012/02/02

2.1 より、満る



月はじまりのきょうは、
寒さもゆるんで、あたたかかった。

このところの風邪がなかなかよくならないし、
いま通っている大学の図書館が今は試験でしまっているので、
きょうは休んで、
いちにち、よりみちをした。

年が明けてから(明ける前からだけど)、
週末はずっとデモや抗議やらで身体を動かして、
休めることがなかった。
即興でその場でアイデア出して、いつも前に進んでいた。


きょうは、よりみちしよう。
眠りも、
ご飯も、
読書も、
ゆっくりした。

よりみちは、より満る。


はじめてタイカレーを作ってみた。
自分で作っておいて、そのあまりの辛さに泣いた。


時計をとめたようなきょう一日、
頭に流れていたのはこの曲。


Tom Waits - In the Neighborhood

トム・ウェイツは、存在そのものが物語。
彼の手にかかると、
もの は呼吸のようにリズムを刻み、
ことば は哀愁の旋律を奏でる。


ドラムロールにのって、
あしたへの扉が少しずつ開いていく。
あしたから、またがんばっていきまっしょい。
しょい。






2012/02/01

1.31 ときのこえ ときのふえ/BATTLE CRY

1.29反原発デモ@渋谷・原宿 - TwitNoNukes

この日、ドラム隊は二隊列に分かれてデモ盛り上げ。

終着点のドラムサークルで、はじめて笛で指揮をした。
それぞれがエネルギーをぶつけてくる。
その中心。
なんてエネルギーだろう。
感じ入っちゃって、見入っちゃって、震えてしまった。
笛も、そんなエネルギーの渦にのみ込まれて、
ぐだぐだの失敗だったけれど、
周りのみんなが流れを作ってくれた。
みんなで階段を駆け上った感じで、大団円。
さいっこうだった。

笛、歩いているときに、
空に向かって、何度か吹いてみた。
わたしはここにいるよって、雄叫びがわりに、
身体じゅうの空気を笛に集めて笛を吹く。
ピーーーーーーって、まっすぐ天に伸びていく。
空に翔ていく。
気持ちもいっしょに、スコーーンて抜ける。


振り返えると、デモの隊列がみえる。
わたしがいちばんすきな風景。
遠くに見える、歩く人たち、プラカード、旗。
怒っている人、笑っている人、戸惑っている人、悩んでいる人、
同じ路を歩く人。
彼/彼女らに、届くように笛を吹く。
その後ろまで届け、
いま、ここ、をむすぶ ときのこえ。

すすめ、我ら。