2012/02/13

2.11 RE:VIVE NIGHT

きょうの怒りのドラムデモは、初めてスタッフとして歩いた。
そしてデモの最後尾にいて、初めてトラメガでコールした。

始まった頃、後ろの方は
ドラムや鳴りものを持った人もいなくて、
先頭の賑やかさに比べたら少し静かな感じだったけれど、
そのうち少しずつ、声が重なり、
そこにドラムや鳴りものを持った方も少しずつ加わり、
わたしも最初は聴いていただけだったけれど、
思わずトラメガでコールしていた。
今まであんなに抵抗あったのに、、
気づいたら、時々、サークルになって声を出し合っていた。

○○をしたくないとか、実は思い込みで、
自分が何をするか、何ができるかは、
その場で生まれる流れで決めることなんだ。
要はグルーヴなんだ。

そして、
わたしはいつもは先頭でドラム叩いたり旗を持ったりしていたけれど、
後ろからみるデモというのは、また違う景色だった。
わたしは今回、先頭のバナーを友だちと作った。
そこにはこのデモをこうしたい、っていうイメージがあった。
その先頭と、この後ろはまた違う。
先頭を歩く人と、後ろを歩く人もまた違う。
彼らがなぜ後ろを歩いているか、そのことを考えた。

そしてその彼らと呼吸を合わせることの大切さ、
そんなことが少し解った。
声を出し続けて、喉が痛いけど、
その解ったことは、わたしが最近見失っていた部分で、
デモが自分たち、主催側のものでも誰でもなく、
みんなのものである、という基本的なことを教えてくれた。


そんなわたしがこの日感じたことを、
ドラムデモに参加された石丸元章さんの文章に書かれているような気がする。
そう、こういうことなんだ。


   “きのうさ。歌舞伎町ついて、どんちゃん!どんちゃん!すごい音で。
  ツイッターで、見っけてて。
  きのう、ドラム叩きながらの、鳴りものデモが、あったんだよ。
  一番街~区役所通り超えて、ゴールデン街の小路が、最終地点で。


  2012年2月11日、夜のはじめの時刻――。
  その日の、その瞬間だけの、普段は見せない、歌舞伎町の、
  突出した姿としてのデモがあって。
  とうぜん、飛び込んで描いてきた。


  わたくし、が、瞬間に切り撮りたかったアングル、というのがじつはあって。
  デモの行列を、隊列に参加している、最後尾からにある視線から、描いてみたかった。


  わたくし、現在の、デモへの視線は、先頭のさらに先に立ち、
  そこから振り返って先頭を行くものを正面から切り取る…ではないからね。
  意味わかるよね?

  春風に原発デモの最後尾


  新宿の春塵とデモとクラクション


  デモ隊をフルーツの夜照らしけり
  
  新宿のデモ隊とあり紀元節


  デモ隊、というのは、気づかないまま死んでる連中を、ぶっ生き返す!ための、
  社会的な葬送の列なんだ。”
  (石丸元章 twitter)

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  きょうは夜デモだ。バナーをライトで照らしださなければ…。
  素人の乱「原発やめろデモ」などでひとつのブロックを占めるまでになっていた
  ドラム隊が独立し、デモを主催するようになった。
  簡単にいってしまえばそういうことだが、そう簡単じゃない。
  そもそも、ドラム隊にリーダーはいないし名簿があるわけじゃない。
  リズムが他のリズムと呼応するように、
  反原発デモでスネアを叩いていた人がバスドラムの人に呼応し、
  またそこにトランペットが飛び入りし…と次第にリゾーム状の楽団になり、
  「ドカドカうるさすぎるマーチングバンド」と出来あいの名前が付けられただけ。
  それだってRCサクセションの曲名の模倣に過ぎないし。
  だけどデモ主催者はいて、警察対応のスタッフもいて、
  ぼくみたいの毎回参加するファンもいる。
  500人ほどの隊列にドラムが一カ所に固まらないようメインのドラマーを
  二カ所に分散配置するなどの作戦も練られる。
  まあイルコモンズ氏と“普通のアナキスト”の音楽ライター氏がいるところだ。
  最近は、打楽器の音ばかりで、主張が消えてしまっている、
  ということでコールが映える打ち出しかたを工夫したりしている。
  不真面目に捉えられかねないほど、表現が突出しているデモなので、
  しだいにピエロの格好で御馴染みの“クラウンアーミー”や
  大小色彩も様々なフラッグが中空を舞うパレードのようなデモになっている
  (写真は夜デモだから目立つように電飾に照らされたバナーbyボヘミアン・パンチ)。
  つぎはどんな作戦が練られるのか、それは誰にも判らない。
  街の風景が異化され、ワンダーランドが現れる。
  ある意味、デモの原点に立ち返っているといえるが、
  中心が不在なので、非常に今様のデモなのかもしれない。
  (写真、テキスト:一色こうき)