2012/02/25

2.24 そして、路はつづく

昨日あったことで、つまらないことなのだけど、
夕方、警察に赴き、注意を受ける。
小学生以来、まともに叱られる、というコントのような時間。

叱られても、あの時のよろこびというのは、プライスレスなのだ。

でも警察はやっぱり嫌ね。
身体が縮む。


夜は、camp のトークイベントPARTYへ。
いらしたゲストの方と、じゅんぐりにトーク。
それぞれ明確な思考を持っていて、刺激的な時間だった。
中でもドラッグクィーンの衣装で参上された
ヴィヴィアン佐藤さんとのお話は、わたしの懐へずんっと入ってきた。
思考と身体と表現とが、三位一体であることの強さ、
そんな一本の大きな幹を持った方だと思った。

ヴィヴィアンさんが言われていた、
「皮膚(への化粧やタトゥー)から衣装、
衣装から建築(部屋の内装、空間)とは、
その構造的なところでつながっている」
というお話が印象的だった。
そしてすごく腑に落ちたことがある。

わたしは引越してきてから、
カーテンやじゅうたんを買う経済の余裕がないので、
自分のつくったポンチョや布を敷き詰めたり、吊るしたりしているのだけど、
そんな部屋にいると、
部屋と、服と、自分の身体との集合点というか、
それらがつながってくるというか、
互いに作用しあうところに居る感じがする。
カーテンとして吊るしている布を使いたいときには、
その布をハサミで少しだけ切り取って使うのだけど、
そうすると、なんだか自分の身を切っているような、そんな妙な感覚がある。
まるで自分の羽で反物を作っている、鶴の恩返しの鶴のような。
それって、たぶんヴィヴィアンさんが言われていることなのかもしれない、と思った。
感覚的なところの話なのだけど、、
わたしはやっぱりそういうことかって、ひとり合点したのでした。



それにしても帰り道、
トークイベントが終わって、ほっとした。
人と話すことはすきなのだけど、
イベントはやはりわたしは向いていないな。
そんなこと前から解っているのだけど、、
きょうのPARTYもそうだし、毎回自分の喋れなさに打ちひしがれる。
そしてその喋れなさというのは、自分の実の無さだと思え、
帰り道は身体がぐっと重くなる。
自分の居る場所、立っている場所に不安になる。
わたしはどこにいるんだろう。


一日のおわりに、
なんとかBARに返却するものがあったので、
またしても立ち寄る。
井手さんの手料理がやさしくて、ようやく一日の緊張がほぐれた。

夕方から、ずっと緊張していたみたい。
“お布団のようなもてなし” 料理に、きょうは救われたな。


あしたは「NO NUKES! ALL ST★R DEMO 3」に行きます。

今のわたしは、路を歩くことが
自分の実体を探ることになっている。
それは たしかなことなので、そうする。


デモ終了後、
友だちと“くにたちポルカ”としてささやかな演奏をします。

いま、外は少し雨が降っているもよう。
あしたはどうか、晴れますように。