2012/02/29

2.28 メガフォンを手に


夜、渋谷のとも企画というスペースで、
監督の早川由美子さんといっしょに
ずっと観たかった映画だ。


2001年6月2日、
ロンドンのど真ん中、パーラメント・スクエアに来たブライアンは、
まずプラカードにこう描いたという。
「イラクの子どもたちを殺すな」
その日から年中無休の抗議活動が始まる。


癌に倒れるまでの八年は、
ブライアンたちを排除しようとする、
イギリス議会やロンドン市警察との闘いの日々だったに違いない。
子どもを殺すな、という至極まっとうなことをいうことが
どうしてここまでの排除を受けるのか、、、
日本の今の脱/反原発運動の現状と重なってみえて、
その理不尽さに歯ぎしりしながら観た。

立ち並ぶプラカード

「原発幻魔大戦」のいましろ先生もそうだけど、
何か声をあげている、自分のできることで動いている人が、
阻害されたり、笑われたりというのは、ほんとうにやりきれなくなる。
で、悔しい。
人々の無関心ほど、高い壁はないな。

けれどそんなシビアな状況にも、
機知を持って抵抗していく、ブライアンとその仲間たち。
その逞しさに心底シビれた。
要は、意志があれば何かになっていくのだ。
意志をもって動くことだ。


プラカードや横断幕、キャンプ、
彼らのロンドンでの占拠をみていて、昨年のN.Y占拠とのつながりを考えた。
決定的な違いは、ブライアンという求心力、
リーダー的な存在があるかないかだと思うけど、
プロテスタ―の年と言われた2011と、
ブライアンたちの動きはつながっていると思う。
そのプロテスタ―の年、
2011年6月18日にブライアンは肺がんで亡くなった。
ちょうど時代が入れ替わったみたいだ。


ほぼ毎日、メガフォンで「殺すな」と叫んでいたという。
無視する市議会員、通り過ぎる人々に向けて。
ブライアンとメガフォン


ブライアンのメガフォンは、きっと多くのひとたちに渡されたんじゃないかな。
誰かひとりにではなく、みんなに。
ヒューマン・マイクロフォンとして。


叫べ、プロテスター。