2012/05/29

5.29 まだ、戦争には間に合いますか?

あした、仕事の都合を無理矢理にでもつけて、
この映画を観に行きます。




“世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、
世界から戦争がなくなるのにな。” 山下清


わたしは、
尾道三部作も「HOUSE」も「青春デンデケデケデケ」も
「異人たちとの夏」も「はるか、ノスタルジィ。」も、
とにかく大林監督の作品を愛しているが、
なぜこんなにもすきなのか自分でも説明ができなかった。

観ると無償に胸がかきむしれるような、
うつくしい幻想をみる薬を飲んだような、
夢みるような、哀しいような、やさしいような、
そんな気持ちになる。
それが何なのか、きょう、DOMMUNE の放送を観て、
大林監督の ことばで聞けた。
すべてはこちらの命と、あちらの命との交わりについての物語で、
ある時は時空を超えたり、転生したり、交換されたり。
いきとし、いけるもの(人間性)と、あちらのもの(デモニッシュなもの)とを
合わせ鏡のように同時に描いてるからなのだろう。


そして、2011年に3.11が起きた。


“ぼくらは平和を買うための経済戦争の中にいる。
 この戦争の世紀に平和を信じることはスキャンダルなこと。
 現実に過剰な信頼をもつというのは、
 現実に大嘘をつくのだから、とてもデモニッシュなこと。
 けれど誰もが爆弾より、花火を作りたい筈だ。
 それを信じさせるのが、映画、音楽、文学、、。
 それが戦争をとめる力だ。”
(大林監督のことばを勝手に集約)



大林監督は、番組の終わり、
手で I LOVE YOUのサインを見せて笑った。

5.28 ディストロ・フィーバー

きょう知った翻訳小説を本にするプロジェクト“ 26 to 50”、
とてもよい取り組みだな。
26to50 は、アルファベット26文字を日本語50音に移しかえるという意味。

小説も、なかなかおもしろそうなものが揃っているので、
今度読んでみよう。
ここからいくつかの本がうまれるといいね。

そして作品だけじゃなくて、
座談会「スチームパンク・ミュージックをめぐって」、
とても面白い。

どんなにいいもの作っても、描いても、
それを他につなげる流通が腐っていたら
そのものも死んでしまう。
わたしの作っているジン「よりみち」も、
快く置いてくれるお店や、扱ってくれる「Lilmag」、
福岡の反転地をメインにした「SHE SAYS distro」
そんなひとたちの熱意で、
この本ともいえない小さなジンが廻ってる。

こんなふうにつなげてくれる人の意志と行動が、
健全に、巨大なシステムに邪魔されず 人の目に触れますように。


「...大手出版社から出てメジャー流通にのっている本だって、 
 たいていは個人の意思と誠意で作られているもの。 
 そのシステムを利用して大勢に届くのならばそれに越したことはない、
 という考え方もある。
 とはいえ、何か伝えたいことがあるときどこも通さずに自分で発信することができる、
 してしまえばいい、というアイデアはとても魅力的。 
 分業化・専門化が進み、また強いものがより強くなり富めるものがより富む時代に 
 人の心を助けるのはそういうものなのではないか。 
 数人、数十人、数百人が共有する特別な体験がある。...」   
 Lilmag








2012/05/25

5.24 沈黙をやぶる音


























読みたい本は山ほどあるけど、読んでみようか。
『良心のトランペット』。
世紀のワシントン大行進のその後、
人種問題から反戦の国際的連帯へ声をあげた、
マーチン・ルーサー・キングの最後のことば。




“アメリカ黒人の公民権運動は、
あの輝かしいワシントン大行進で絶頂期をむかえたあと、分裂し、
暗い暴動の季節にはいった。キングは、大都市のスラム街で、
社会の最底辺にあえぐ大勢の貧困者や怒れる青年たちと生活をともにするうち、
社会に暗黒の行き詰りをもたらしている一連の問題の解決を阻むものに目を開いた。
彼が日夜とりくむ国内の闘争における非暴力と、
戦争という国際的暴力の否定とは、ここに一直線上につながった。

キングは〈沈黙に終止符を打ち、良心に従って〉ベトナム戦争反対に踏み切った。
政府とのあいだの調停者的役割を捨てて対決姿勢をかため、
さらに、アメリカの戦争政策のもとに同じ運命におかれている
他国の貧しい人々との国際的連帯をめざしたとき、彼の暗殺は時間の問題であった。
遺著となった本書は、現代が直面するもっとも切実な課題
――人種差別、貧困、青年の疎外、非暴力と平和をめぐる講演集であり、
非暴力運動による世界平和の実現を訴える、キング師最後のメッセージである。”








2012/05/24

5.23 震えるアンテナ


....
大人になってもどぎまぎしたっていいんだな
ぎこちない挨拶 醜く赤くなる
失語症 なめらかでないしぐさ
子供の悪態にさえ傷ついてしまう
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
年老いても咲きたての薔薇  柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている きっと……
(『汲む』一部/茨木のり子)


首のリンパ線が腫れて痛む。
ああ、この季節だったと思う。
小学校の頃から、この季節は腫れるのだった。
なにがどうなって反応してるのか、まったくわからない。
けどそういう身体のタイミングなのだ。


最近、体調がよくなかったり、
疲れがでたりであんまり動けなくて思ったのだけれど、
元気がないときは元気がないままでいるのも、
苦しいときは苦しいと言うのも、ひとつの勇気なのね。

人に何かを頼めないのも自分の弱さの表れというか。
甘える強さがないというか。

「バテてたときは堂々とだらけたらいい」って、
ともだちが言ってくれたけれど、ほんとそうだ。
のびのび明るくなったり、暗くなったりしよう。


、、と同時に、
何かわたしの行動で何か反応があったとき、
少なくとも、自分で腹を括って行動していることについては、
その責任というか、
自分の言葉で説明できるような強さを持ちたいなと思った。
(これはここ最近、自分の行動をめぐる反応について強く思うこと)


強さと弱さ、
まったくなんで自分はこんなにバランスが悪いのだろう。
そんなところがつくづくいやになるけれど、
震えるアンテナもなにかの仕事や技に作用しているのだろう、
とおもって気を休める。


がんばって のんびりいきまっしょい。








5.23 no need to say anything



“ゲームのルールは変化せざるを得ない。
それは永遠のサイクル、または悪循環のなかにある。
ゲームはルールによって成立するのか。
それともゲームがあるから例外が生まれるのか。
だが共有された規則はどれも
ゲームの存立の決定要因にはならない。
個別のルールがプレイヤーに従うこともあるだろう。
「やってしまったほうがよい」
「やっておくべきだ」
「やらなければならない」
……採用すべきものはどれでもない。
共通の座標系は不可知の中で浮遊している。
治療はあくまでも修理に似てしまう。
確認されたからといって認知されたことにはならない。
名づけてみても語ることはできない。
予測できたとしても解明できたわけではない。
あるがまま揺れ動くものがあることはわかっている。
だから揺さぶってみることにする。”
―― 佐藤薫

2012/05/23

5.22 まもりがみ







































ひさしぶりに片目のモモちゃん(仮称)に会った。
少し痩せていたけれど、ちゃんと覚えていてくれてすり寄ってきた。

“調子はどう?”




四月のような寒さの中を、
母が、嵐のようにやってきて嵐のように去っていた。
梅干しと、少しばかりのお金を置いていった。


このお札は、お守りにしよう。
人がくれたものにはその人の力が宿っているってきくけど、
きっとそうなのだ。
もの言わぬ、守りがみ。

2012/05/22

5.22 愛はきらめきの中に


I love this beautiful song so much.
The world will miss U.

R.I.P  Robin. 






“僕らは
僕らを押しつぶす
愚か者たちが住む世界に
住んでいるのだから
そいつらが僕らを
放っておいてくれたなら
僕らは君と僕、そのものなのに。”