2014/01/06

1.5 楽しい反戦/よれよれ



演奏曲:アニー・ローリー 
『新版 楽しく歌おう』(神奈川県中学校音楽研究会編)より

演奏者:よれよれ yoleyole

写真:原田銀次郎、原田千代、原田洋三 他/
   1937年10月23日(銀次郎出征日)/山梨県甲府市

資料提供:原田洋三、原田耕二


【「楽しい反戦」展】

2014年1月5日(日)~1月11日(土)14時~21時
路地と人

1.1 あたらしい光/命/器




おはよう

新しい光

いのちのうつわ








2013/10/20

10.20 → 7.11 あとのまつり

三ヶ月前の非公開で書いた日記、いまごろ公開します。
なぜ今なのかは「デモ」ってなんだろう?っておもうところがあったので。
以下、文章は7月11日に書いたもの。



“世界のなかで
 夢みるひとたち 
この道に出よう 
 いっしょに行こう”

二週間経ってもこのデモがどんなデモだったのか
うまく説明できない。
“君たちのデモはデモじゃない”
と警察からは言われたけれど、
そうかもしれない。

この日韓国から来たYAMAGATA Tweaksterが
日本語で唄ったこの歌詞が
どんなデモだったのかを代弁してくれている。

なんていい歌なんだろう。

わたしは自分の前をゆく、
踊るひとたちの群れをみながら
この歌をきいたとき、ぽろぽろ涙が出たが、
それはうれしいとかかなしいとか、そんなものじゃない、
べつの次元のものだったとおもう。


この日、ヤマガタは夜からのライヴのリハ、
ぎりぎりまで歩いてくれた。
前日も反自民党デモでいっしょに歩いた。
彼は日本でライヴとデモで駆け巡っていた。

野暮なことを書けば、
パフォーマンスをしていないときのヤマガタは
派手なパフォーマンスと奇抜なファッションのイメージとは別人のように
もの静かな方だ。
最初、彼があまりに静かに集合地点に立っているので、
ヤマガタだと解らなかったほどだ。

この日、在特会の反韓デモがあり、
新宿の街は警察の警備で騒然としていた。
韓国から来たヤマガタや、ヘミちゃんや、イ・ランちゃんらが
デモで歩くことについて、わたしたちはすごく心配した。
自分たちはともかく、彼らに何かが起こることだけは避けなければいけない。

出発前の公園も厳重な警備に囲まれてしまった。
そんなようすをじっとみつめていたヤマガタの姿が記憶に残ってる。
ヤマガタにどうしてきょうはこんなに警備があるのか、
これから排斥デモがあるからだ、なんて言いたくなかった。
でも彼は日本で何が起こっているのか知っていた。
それでも韓国で福島のためのデモをしたり、
こうして日本でいっしょに歩いてくれたのだった。

飛び跳ねる人の群れ。

サウンドカーが出るサウンド・デモで
サウンドカーが追い越されるのを初めて観た。
車を追い越して歩くひとたち。
いつもは先頭を歩くデモバナーも数分で抜かれた。
そんなふうでよかった。
あれは本能なんだ、
生きるひとの。


デモのパーティでは、いくつかの文章を読んだ。
せっかく盛り上がっていたパーティに水をさしたかもしれないけれど、、
わたしは昼間の鮮やかなデモの背景をわたしなりの言葉で伝えたかった。
あのとき、いろいろな反応があってそれを租借している。

声かけてくれた人、ありがとう。
すこしずつ、お返事を返していきますから、
待っていてください。


2013/07/07

7.7 日陽はしづかに発酵し

夏




蒸し蒸しして
発酵す


この数日格闘している酒種酵母造り
ちゃんと酵母できるかな



2013/06/28

6.28 わたしをすくえ われらをすくえ


“いろんなこと見て見ぬふりしてきたからこのままじゃ私もこういう風に死ぬ。
と思える人同士で仲良くしたい
<DJパトリックの死から感じること(ジュン☆中山”

momononaka twitter 2013年4月18日20:41


今年の4月、ひとりのDJが亡くなった。
そのことを知ったのは野中モモさんのツイートからだった。
わたしは生前の彼のことを知らないし、もちろん会ったこともない。
けれど彼の死からいくつかの連鎖がみえて、
心を揺るがされたこと。

ジュン中山さんによると、
“パトリックは、HIVポジティブだったけど、
彼の最終的な死因は「貧困」により命を落としたのではないだろうか。
HIVポジティブの問題の他、ひざを痛め歩行が困難とか
仕事の収入がなくなり、貧困に苦しんでいた。
そのストレスにより、病状がますます悪化したのではないだろうか”と。


“朗報も訃報も facebookで知る
こうして 今思っている事を みんなに知ってもらう事が出来る
とても 便利だから わたしも便利に使っている
便利だから 無視する事も出来るし乗っかる事も出来る
関わっている様で関わらない 関わりたいと思いながら躊躇する
本当は気持ちも覗かれてるのに 全てバレてるのに
察していたのに 気付かないフリを わたしはしたのです
「無理」って いったいどこまでが わたしにとっての「無理」なのか
過ぎた事はしようが無いけれど
「これから」があれば 何か取り戻せる事もあるかもしれない
色んな事が頭を過る
”



このままじゃ私もこういう風に死ぬ。
ぞくっとした。
同情とかそんなじゃなくて、
自分もそうなるかもしれない、って思えたから。


日曜日に “SaveMe, SaveUs”というデモをすることにした。

SaveMeデモのきっかけは、
昨年11月、高円寺のなんとかBarであった、
韓国のコヌーくんの救済イベントでの話しがきっかけだ。

コヌーくんは釜山のアジトというアートスペースのメンバーで、
日本に友だちも多い。
そのコヌーくんの家が爆発して(説明省略)無一文になってしまったので、
Saveコヌーということで、救済イベントが開かれた。
コヌーくんやアジトに集う人やその周辺の人たちは、
再開発や原発や米軍基地問題、云々、、
日本と似たような問題を抱える韓国の社会で、
音楽や美術を通じて、タフで伸びやかな運動をしている。
なんだかわたしのいる状況ととても似ている。
他人の気がしない。
放っては おけない。
コヌーは救われなければならない。

なので自分のできることを、、と思って、
わずかばかりのお金を出そうとするけれど、
自分のその手の血の気のなさに、眼が醒める。

原発やら、TPPやら、基地問題やら、憲法改正、ダンス規制やら
気の滅入ることばかりで、デモもするけど、だからどうってこともなくて、
生活は苦しくなっていく。
実際、お金はどんどんなくなっていくけど、
お金の問題だけでもない。

気がついたら、
わたしのすきな場所、人が心を病んだり、消えていってしまう。
がんばっていた人がいなくなる。
そんなことが身につまされる。
そして わたし自身もすり減っていく。
うすくなっていく。
そのうち夜の闇に消えてしまうようにも思えたり。

わたし、孤独死するんじゃないかな、
ふと、そう思う。


コヌーは救われなければならない。

パトリックも救われなければならなかった。

大阪で助けてとすら言えず餓死した親子も。

わたしも救われたい。

わたしたちは救われなければならない。


このデモが何のためのデモか解らないと人は言う。
嗤う人もいる。
それが健全な反応なのかもしれない。

それはそれでその人はよいのだ。
とてもラッキーなことだと思う。

これは生きづらさを抱えた人間の「生きさせろ」という叫びなのだから。

そして、すくえと言いながら、
救いを乞いているわけではなくって、
助けてって言いたいってことなのだと思う。
言っていいんだってこと。

いま言えなくなっている人が、
わたしのようないい加減な人間が助けてって言ってるのをみて、
あんな奴でも言ってるんだから好き勝手に言っていいんだって思ってほしい。

強いものが弱いものを叩くのは悲劇だけど、
弱いものがより弱いものを叩くのは地獄だ。

わたしも我慢しているだから、
あなたも我慢しろと、弱いもの同志が口を塞ぎ合う。
そして沈んでいく。
そんな世界って、何なの。


同じ日、同じ場所、同じ時刻に、
反韓排斥デモが新宿である。

そこで呪いの言葉を吐く彼らにもわたしは同じことを思う。
同じ日にあるふたつのデモは、すごく対照的にみえるけれど、
わたしは根はつながっていると思ってる。

排斥の言葉自体は許されるべきものではないけれど、
人を貶めることでしか自分の足下を保てないなんて、
なんて救われてこなかった人々なんだと思う。
自分の存在の軽さに耐えられないんだろう
歪まされたんだろう
屑と言われたんだろう
死ねと言われたんだろう
だから殺せと言うんだろう

わたしは呪いの言葉は人を殺せることを知っている
だからわたしは屑とか死ねとか、どんな酷い奴でも死んでも吐かないが
彼らには差別という毒しか残されなかった
毒は中毒となる
それがあれば救われるという幻想
毒は手放せなくなる
彼らこそ呪いの言葉を吐く前に救われるべき人々だったのだ。

そこを歩かないで、
こちらを歩いたらよいのに。
誰かを殺せという叫びも、
わたしをすくえという叫びも、
生きてるだけですばらしいという歓びに変わればよいのにと思う。
そのために歩く
わたしを曝す
呪を祝で覆す

いつか彼らがこっちの路を歩くようになればいい


わたしをすくえ
われらをすくえ



6.26 Where Water Comes Together With Other Water






 


ここが囲われたものでないのなら

この川も いつか

海に流れつくでしょう







2013/04/24

4.24 アフター・ダーク

わたしは何か描くとき、
ひとつの同じ話を
何度も何度も描いたり、
同じ絵を何度も何度も描いたりすることがある。
この絵もそのひとつ。
絵でなくて、この木。
ある一本の木。
“アフター・ダーク”と呼んでいる。

自分の木、
わたしの木は、これかもしれない。

6年前に初個展をしたときにも描いた。
「とわ ず がたり   -TOWA   Z  GATARI」


葉の茂みの闇から、木は始まっている。

その闇に吸い込まれそうになる。
闇をみてると、葉が伸びてくる。
白い葉にいつのまにか包まれる。
黒と白が反転し合う。

それを毎回描こうとするのだけど、
絵がおいつかない。
だから、また描く。



アフター・ダークは、
村上春樹の小説から。

村上春樹に狂っていた20代、
ねじまき鳥でショックを受けて、
この人はこれ以上の小説は書かないだろうと勝手に決めつけて、
読まなくなってしまった。
当然、そんなことはなくて物語は続いた。

リハビリのつもりで読んだアフター・ダーク、
光と闇が交換する話。

わたしの木もそれを語ってる。










































2013/04/15

4.14 By This River








風は強いけど、
日差しはあたたかい、四月

緑のこどもたちが 畑でかしこまって並び、
桃色のドレスが回転する
あれはフラメンコ

友だちがふらふらと楽器やおやつを持ってあつまり、
テントを立てる

野の原だ 
ここは

ドリーム・キャッチャーの枝
多摩川の水面
寝ころべば青
川と木と空の三角

少しずつ太陽は傾き、
燃えるオレンジ
音もしっぽがのびて 流れ星
コウモリがうたう


ゆけゆけ、
と、
太陽がわらう


流れよ、
と、
川はいう



その路へ、
と、
月がささやく




多摩に住むようになってよかったと思うのはこんな日。















2013/04/09

4.8 こどくの はんたい



誰もいない
でこぼこ道を歩いてく
からの水筒も
こんなに重いと思うのに
俺の背中に
こだまする人々のあの歌が
喜びの歌じゃない
追放のあの歌
きのうは俺も
いっしょに歌ってた

俺の背中に
こだまする人々のあの歌が
喜びの歌じゃない
追放のあの歌
きのうは俺も
いっしょに歌ってた

こんなに暗く
長い道の真中で
あけてしまった
かんづめを又 ながめ
救われたと信じても
煙草の煙が教えてる
休みの国はまだ遠い
静けさなんてないんだと

まだ聞こえている遠い追放の歌

作詞 高橋照幸
作曲 高橋照幸





“孤独”の反対をずっと考えている。
連帯、団体、家族、、
どれも違うような気がする。














2013/03/03

3.3 ふゆと はるの あいまの よるに

はるのあしおとが近づく。
それでもまだ心が冷える夜、
おもうことはこんなこと










































"everything was beautiful and nothing hurt"
-Kurt Vonnegut




第二次世界大戦で、
ドレスデン爆撃を体験したヴォネガットが
こんなふうにいう夜は、
それはきっと、とってもよい夜なのだろう。

傷付いた人に必要なのは
癒しでなくて、慰めだと思う。

そんな夜につつまれてみたい。







2013/01/03

HELLO 2013


 
 
あけましておめでとうございます

こんにちは、新しい年

終わりから始まり
... いのちの輪がめぐる

Life is a circle.

いのちの輪っかはどこから始まりで、どこが終わりかわからない
その営みの連なりのなかで世界ができあがってる
わたしもそのひとつ

そうしてきょうもまた、同じように時間がながれてく

波にのったり、揺られたり
手をつないだり、話したり

ことしはどんな軌跡を描くだろう

ことしもどうぞ、よろしくおねがいします




2012/11/16

11.16 鍬と種

ハロー、マイ・シスター、
ハロー、マイ・フレンド。


さいしょに、
わたしの手紙が不在のあいだ、
わたしに手紙をくれた友だちへ、
ありがとう。
救われました。

すこぶる元気ではないけれど、
手紙をかけるくらいにはまともになってきました。たぶん。


ひさしぶりの手紙は、鍬と種のこと。


まず、鍬のこと。

わたしの敬愛している翻訳家で児童文学家の石井桃子さんが、
戦争中の疎開先の仙台で、
女性二人で開墾して農業を始めたのを知ったのは、ちょうど一年前くらい。
わたしはそれから、
なにかあるたび、とくにひとりで落ち込んだとき、
石井さんが握った鍬のことを思う。
彼女がみていた北の景色を思い浮かべる。
想像だけど。
寒い北の地で開墾を始めた石井さんはどんな気持ちだったのだろうとか、
そこに託された希望とか、
冷えた土とか、
植えられた種とか。

わたしは鍬を持っているだろうかって、いつも考える。




そして、種のこと。

きょうから3日間、
路地と人で開催されるコートニー・コームスの展示に絡んで、
女性のための対話のテーブル、
“思考の種 Food of thought”という集まりをします。

これはフェミニスト・アーティストである
ジュディ・シカゴの作品「Dinner Party」にインスパイアされたもの。
エミリー・デキィンソンやヴァージニア・ウルフ、ジョージア・オキーフ、、、
わたしもだいすきな歴代の女性の詩人や作家や社会活動家たち、
彼女たちを迎えるために配された食膳、並べられた皿とクロス。
集まった かの女性たちはそこでどんな話をするのだろう。
彼女たちが過ぎ去った扉をあけて、食卓につく、
置かれた皿を目の前に、誰かが少しずつ、語り出す。

そんなことをイメージして、
路地と人でも女性たちの対話のための
ディナー・パーティをひらくことになりました。
女性と社会を結びつける、
フェミニズムの運動として行われてきたディナーパーティ、思考の種。
けれど日本ではフェミニズムというと、ある種の偏見があったり、
ほとんどの方は知らない、分からないという。
躊躇する。
それはわたしもそうだった。

だからこのFood of thoughtの話を
キュレーターのエミリーから持ちかけられたとき、
わたしも正直、戸惑った。
日本の女性たちに“フェミニズムについて話しましょう”って言っても、
どんな反応があるのか目に見えている。
そもそもわたしは解っているだろうか、とか。


わたし自身、ほんとうのことを言えば
十代に入るまで、自分の意志でスカートを履いたことがない女の子で、
女の子としての自分に違和感があった。
(それは今でも残ってるけど)
真っ黒な上下ジャージにスニーカー、髪は短く、分厚いメガネ、
いつも男の子と間違われた。
“女”としての自覚も自信もなく、
かといって、男の子になりたいわけでもない。
自分の“女”という性別をもてあまし、
スカートを履いていた女の子を遠くからあこがれてみていた。
自分は変態かもしれない、と心のどこかで思っていた。

そんなわたしが女性についてきちんと考えるようになったのは、
やっぱり、3.11がきっかけだった。

あれからこの1年と数ヶ月のあいだに、
わたしは家族環境や戸籍や生活や景色が変わった。
変わざるを得なかった。
それにともなって、
自分の意志とは違うところで影響してしまうものもあることを知って、
わたしは初めて社会的に女性はどうあるのか、
ひとりの人間としてどうあるのかを考えた時間だった。
それはいまでも進行形で学んでいるけれど。


この"Food of thought"をどうしたらよいか悩んでいるわたしに、
野中モモさんが中西豊子さんの
「女の本屋(ウィメンズブックストア)の物語」を勧めてくれた。
日本の女性運動の草分けの時代、
関西に女性のための書店を日本で初めて開いた中西さん。
最初はウーマン・リブとか、80年代ぽいなあ、、
なんて読み始めたのだけど、読んでいるうちに、
「女のくせに」という言葉が平気で使われる時代、
戦時中の女性たちへの軽視、、
戦後の高度成長期での男女の格差、蔑視、
中西さんの時代の女性たちがおかれた環境の酷さと、
それに対して、傷つき怒りながらも、
逞しく、ユーモアをもって跳ね返そうとする、
生き生きとした中西さんの文章に涙がでた。
わたしは初めて、過去の日本の女性たちがどれだけ汗と涙を流して、
家庭や社会からの暴力、偏見、差別に耐え、
いまの社会に介入してきたかを知った。


わたしはフェミニズム、
日本ではウーマン・リヴ、ともよばれる運動を
大きく誤解していた。女性でありながら。

1970年の国際反戦デモのなかには、
「女性解放」を掲げた女性だけの隊列があったという。
それが日本で最初のウーマン・リヴ運動だということを、
わたしは初めて知った。

これは驚いたけれど、記憶を紐解けば、
そういう闘う女性たちは時代時代に何人もいて、
わたしは彼女たちに時代や場所を超えて、
とても近しいものを感じている。

米軍基地を取り囲んだイギリスのグリーナムの女たち、
自分たちの土地を守るサパティスタの女たち、
イスラエルのパレスティナ攻撃を非難したイスラエルの黒い女たち、
原水禁運動を始めた杉並の女たち、

そしていまは、福島の女たちが立ち上がっている。
福島の女たちだけでなくて、
いま抗議やデモや何かで動いている女性たち、
わたしの友だちもそうだ。
わたしの衝動的な抗議やパフォーマンスの呼びかけに
「やろう!」っていっしょに動いてくれた女ともだち。
そんな彼女たちにいつだってわたしは励まされてきた。


わたしが会う女性たちのなかには、
家族の反対をおしきって抗議にきている女性もいた。
パートナーに秘密にしてきている女の子もいた。
わたしはそういう女性を知ると、ひとりひとり抱きしめたくなる。
わたしは何もできないけれど、その痛みは知っている。
抱きしめて、
そしてこう言ってあげたい。
ここにあなたの夫やパートナーがいないことは
寂しいかもしれないが、悲しいことでない、
あなたは鍬を手にしたんだ。
あなたは自由だ。


そして、そんなふうに悩みながらも動いている、
七転八倒している女性たちを、
いきものとして愛おしいと思う。

デモや抗議だけじゃなくて、
ふつうの暮らしの中で、日々の生活の中で、
もがいて、土を耕し、種をうえている女性たち、
そんな彼女たちに旗をふりたい。
わたしの親愛なる友だちにも。
それとひとりでうちひしがれている、愛すべき姉妹がいたら、
その彼女にも。


みえるだろうか。

ハロー、ハロー。






2012/08/19

8.18 終わらないうたをうたおう

▼脱原発杉並「踊る有象に見る無象 盆ダンス with 福島 つまり盆踊り」
【盆おどり 第二部】 [00:00-00:12] ▼怒りのドラムデモ feat.小塚ルイコ&ジンタらムータ ・「メルトダウン・ドドンパ音頭」 ・「ファンク炭坑節」 [00:13-00:25] ▼DJイルコモンズ+MCいずもり ・「盆ディスコ」 [00:25-00:34] ▼脱原発杉並+みなさん ・かんしょ踊り
わたしは練習のみで本番参加できなかったのだけど、 ドラム隊の有志が参加。
ジンタらムータとのセッションも練習だけでもすごく楽しかったし、
勉強になった。
本番はこんなふうだったのね。
よかった。よかった。 最後はDJイルコモンズ 映像みて、涙でた。 みんなの演奏にひとり、ふたり、踊り始める。
いつもいつも抗議やデモで
怒り剥き出しに叩いたり吹いたりしてるけど、
それは ただただ明日には笑えるように、
それだけだったりする。
終わらない歌を歌おう クソッタレのために
終わらない歌を歌おう 全てのクズたちのために
終わらない歌を歌おう 僕や君や彼等のために
終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

2012/08/08

8.7 KEEP ON, KEEP ON, KEEP ON



ある東京の美術大学の構内の隅で。

ぐっと来た。

最近の学生は、、なんて、つい言っちゃいがちだけど、
それぞれの速度で何か感じている筈。

これを貼った子、誰かわからないけど、
いつか会ってるかもしれない。



































SO......

KEEP ON BEATING.
KEEP ON LIVING.
KEEP ON FIGHTING.

2012/08/05

8.5 DEMOCRACY NOW

きょうはこれから神保町へ
オスプレイの配備に反対を訴える
「10万人沖縄県民大会に呼応する8・5首都圏集会」
に行くので、急いでいま思っていること。

きょうの朝日新聞によると、
エネルギー政策の意見聴取会の結果、
2030年までに原発ゼロを求める意見が7割を占めたという。

これをうけて我らが野田首相、
官邸前抗議に対してどう対応するか、さらに見物だ。
再稼働の理解を得られる、訳がない。

そして原発と同じく、
止めたいのが沖縄・高江のヘリパット建設。

近い未来、原発がとまったとしても、
それに替わる権力がすり替わるだけだったら意味がない。
原発を止めることは、
自分たちの暮しを自分たちの手で守り、作る権利を手に入れることなのだと思う。
今の一部の政治家と権力者による意思決定のシステムを破壊すること、
政治をわたしたちの掌に取り戻すことだ。

それと同じことが基地問題にもいえる。
根っこはつながっている。
原発を止められるなら、基地問題も止められる筈、でしょう?


だからきょうも抗議に行ってきます。







2012/08/01

7.29 天と地/The Wildfire Spreads


天から、地から、この一日をとらえた映像。
そこには、風をうけて広がる野火のような人の群れ。




怒声のなかに 歓声があり、
見知らぬ人のなかに 親しい人がいて、
懸命に輪になり、
音を、手を、あげた。


この日は
数万人のなかで、
そこにいない そこを目撃した人のなかで
わたしが 生きた、貴重な証、になった。

この先がみたい。


その先がみたい。
もっと先へ。

2012/07/27

7.27 Summmmer JAM/アトミックサイト

すべてを溶かしてしまうような日差し。
眩暈がしそう。

そして騒がしい週末がまたやってくる。

ここしばらく力がでない。

この猛烈な暑さもあるのだけど。
せめて暑さで倒れないよう、
お茶じゃなくて、レモン水を飲んでいる。

考えたら、この暑さで楽器を演奏しながらの数時間のデモって
中学のバスケ部の夏練習くらいハード。
あのときは蜂蜜漬けのレモンと水を休憩ごととっていた。
何にもなしに歩いたら具合が悪くなるのは当然だった。

16日のさよなら原発10万人デモでは
あやうく倒れるところだった。
デモのあとに友だちに分けてもらった飲みものが美味しくて、
人間何を飲むかってすごく大事だなって思った。

土曜日は「脱原発中野も」、
日曜日は国会包囲です。
国会ではひさびさ、
石川雷太、山川冬樹、伊東篤宏、イルコモンズ
アトミックサイトの面々が集合しそうで嬉しい。
忘れたころにやってくる、アトミックサイト。

きょうも あしたも これからも
長くゆるやかに続く。

2012/07/23

7.23 こゝろ は







































このあいだの19日、
友だちがIRAに集まって、
わたしや7月生まれのモモさんやごんちゃんら、
とにかくなんでも祝う会でお祝いしていただいた。
だいすきな人たちが集まって、
祝い祝われ、
生きてて、こんなにうれしい日はなかった。
みなさん、ありがとう。

もうあと百年いきられるほどのエネルギーもらいました。

何より、
落ちてきたトレイで厄が落とせた筈。
(なりたさん、5回も頭に落としてくれてありがとう)

そのときいただいた鉛筆。
“ココロハアジサイノハナ”
偶然この鉛筆を選んだのだけど、
いまのわたしになんてぴったりなのだろう。

時の花、紫陽花。

今週末は、
中野も、と国会包囲。
またいくつもの紫陽花たちが集まるだろうね。

2012/07/18

7.17 誕生日/路上に花束を

金曜日の官邸前抗議、
日曜日の船橋デモ、
月曜日の10万人デモと、
この週末は路上にばかりいた。

声も出し尽くし、
手も痛いし、
肌も日焼けで痛い。
身体中、痣だらけ、、

最終日の炎天下でのデモはさすがに過酷で、
出発してから道に出るまで二時間かかり、
身動きもとれず、暑さですでに目眩がしていた。

デモゴール後、公園でまったく動けなくなってしまい
力尽きて座り込んでいたら、
公園で演奏していたジンタらムータの
平和に生きる権利が流れてきて、
もう身体は乾き尽くして、
汗も涙も、水は一滴も出ないと思ったのに、
涙がでた。
簡単に音楽に感動したとか、
そんなことでもなくて、
17万人集まったとか、
ドラム隊のなかまたちが屈託なく話をしているとか、
その日の暑さとか、
いろいろ渦巻いて、
で、
平和に生きる権利なわけで。

デモのあと、
ドラム隊のともだちや
ジンタらムータの大熊さんとみわぞうさんらとご飯を食べた。
はじめてちゃんとに大熊さんとみわぞうさんと話をした。
3.11までのデモのこと、3.11からのデモのこと、
デモでの表現や、音楽や政治や社会について。


そして帰り際、
あした誕生日なのとぽろっと言ったら、
帰り道で友だちがハッピー・バースデーをちょこっと演奏してくれた。

この曲、一生忘れない。
たからもの。


それでもって
きょうの誕生日。
わたしは初めて、たぶん生まれて初めて、
自分から積極的にきょう、誕生日だって言った。

それは みわぞうさんに言われた言葉があったから。
きのう、わたしが「誕生日はうれしくない」って言ったら、
それは自分のいまの状況がどれだけ恵まれてるか解ってない、
ドラムも叩けて、ご飯も食べれて、いっしょに歩く友だちもいて、
そんな状況ってとても幸せなことで、
そういうことを祝ってあげなきゃって。
こんなこと他の誰かに言われたらムカってきたかもしれないけど、
みわぞうさんに言われるとすごくすとんと胸に落ちて、
あ、、わたし、すごく奢っていたなって思った。
幸せに対して奢りがあった。
不幸なことばかり考えてると、
幸せに対して、奢りが出てくるのね。
それがいちばん、不幸だね。


そしてきょう、思ったのは、
自分の幸せを祝おうと思ったら、
そこには誰かのつながりがあって、
感謝したり、愛し合ったり、
それはシーソーのようにも、つながっていることなのだと思った。

きょうは誕生日だった。
すばらしい一日だった。

すこし休んだら
また路へ。

2012/07/11

7.10 怒りのドラムと悪霊

7/15 脱原発船橋(仮)+怒りのドラムデモ@船橋








































【7.15大きなデモだね!国民の生活を守るために脱原発デモが必要だ!】
 野田退治デモ第2弾
集合西船近隣公園(前回と同じ)
集会13:30/出発14:00
解散は天沼弁天池公園です!(これも前回と同じ)