きょうは地震の夢で目が醒めた。
朝、揺れたからかな。
倒れていく家屋に居て、どうしようないまま崩れていく夢。
あれから一年が来ようとしている。
一年前と、今と、見る景色、いる場所も違う。
離れてしまった友だち、
家族のように会う友だち。
毎日、毎日、一日の終わりに息をつく。
舟を漕いでいるみたいだ。
遠くに何があるのかわからない、その先に向かって。
背には、くねくね曲がった河。
流れには逆らえない。
その流れに乗るように、重たいオールを漕ぐ。
お金があったらもう少し楽なのかな。
手元に灯りがつくくらいかしら。
貧すれば鈍す、それは人間としてとても寂しいことだと、
父親が東京に出てくる時わたしに言った。
そのことばの重みを、いま噛みしめてる。
この一年、電光石火のように走ってきた。
時間や速度が、身体やこころとずれても走ってきた。
変わっていく景色も、めぐる季節も、
わたしはどれだけみていたのだろう。
わたしひとりだったら、
もっと陰惨なことになっていたかもしれない。
いっしょにものを作り、
あれやこれや話し、
どかどか音を出し、
路を歩く友だちに、どれだけ救われていることだろう。
そんな友だちが苦しんだり、悲しみに中にいたりすると、
わたしも辛い。
元気という気を手で分けられるものなら、あげたい。
みんな元気でいてほしい。
3.11のデモに向けて、
少しずつヘッドドレスを作り始めた。
花束がわりの、3.11の追悼と怒りのためのヘッドドレス。
羽や木、布、糸、釘、針金、、
3.11で壊れたものをイメージしてコラージュする。
破壊されたものへのオマージュになればいい。
きょう作っていて、まるで箱庭を作ってるみたいだと思った。
わたし自身、リハビリになるかもしれない。
これからの数日は、
ひとつひとつ、あれからのことを思い出し、ひとつひとつ、時計の針をすすめていきたい。
3.11に向けて。