首相の会見も、官邸前の突然の工事も、
去年一年のあいだにみてきたことと同じで、驚きもない。
わたしたちは学んでいるのに、
あちらはまったく同じことを繰り返している。
わたしたちを妨害しようとすればする程、
圧力側の馬鹿ぶりと非人間性が浮き彫りになる。
それよりもきょう集まった4000人のことを考える。
官邸前にいた人たちの声と、高揚した表情を思い出してる。
あの場にいて、あの空気のなかで声をあげた人は、
たぶん、あきらめないだろう(そうであって欲しい)
そこにいれなかった人に、この熱をどう伝えて、つないでいくか、それを考えてる。
あの場に来た人は、腹立ちながらも集まった人の多さに、
自分だけでなかったと確信したのではないかな。
こんなに人がいて、もしかしたら「変わる」かもしれないって思ったんじゃないかな。
一人ひとりの持ち帰った熱が消えずに広がっていけば、
ほんとに変わるんじゃないかな(これは私の希望)
願わくば、消えたようにみせかけて、
別の場所からよりいっそう激しく燃え上がる野火のように、
そんなふうになったらいい。
自分だけでなかったと確信したのではないかな。
こんなに人がいて、もしかしたら「変わる」かもしれないって思ったんじゃないかな。
一人ひとりの持ち帰った熱が消えずに広がっていけば、
ほんとに変わるんじゃないかな(これは私の希望)
願わくば、消えたようにみせかけて、
別の場所からよりいっそう激しく燃え上がる野火のように、
そんなふうになったらいい。
水、木曜日はデモ、そして今日の抗議と、
この3日は、炎の3日間だった。
この3日は、炎の3日間だった。
そして最終日のきょうは、
友だちの なりたさんの誕生日であって、
サプライズでアコーディオンでハッピーバースデーを弾いた。
3日間、何かしらの楽器を弾いたのだけど、
デモでは武器として、
誕生会は花束がわりに。
炎の3日間、とりあえず終了。
友だちの なりたさんの誕生日であって、
サプライズでアコーディオンでハッピーバースデーを弾いた。
3日間、何かしらの楽器を弾いたのだけど、
デモでは武器として、
誕生会は花束がわりに。
炎の3日間、とりあえず終了。
そして、またあしたから、また武器の日々が始まる、かな。
けれど、ときに花束を持たないと、こころは枯れてしまうね。
けれど、ときに花束を持たないと、こころは枯れてしまうね。
ひとまず、きょうは
おやすみなさい。