2012/04/17

4.16 希望を 待つ

この大切な大切な、
エスペラールとエスペランサのTシャツを着る季節は、
どんな景色になっているだろう。

きっと太陽のもとで 笑っている。
という未来を胸に、待つ。



希望を、待つ。
早く早く、と急かされる灰色の時間に対抗して、待つ。
待つ。
それが希望を持つことだ。

新しい世界が、こどもの日に姿をあらわすまで。



南の大陸で広く話されている言語で、「待つ」は「エスペラール」、
「希望」は「エスペランサ」といいました。
そして、考えてみれば「待つ」と「希望」は、深く関わっているようでした。
人は、希望があるから待つのだし、待っている時には、
心の中に希望が宿っているはずでした。
けれど、灰色のつくり出す世界では、「待つこと」はだめなことなのです。
人びとはいつもイライラしていて、「早く早く」「速く速く」と急いでいます。

子どもたちは、学校で急がされます。
「早く早く」「速く速く」。
じっくり答えを考えていてはだめで、早く、速く、答えを思いつくと、
先生に誉められるのです。

けれどもしかしたら大事なのはじっくり考えることなのかも知れないのです。

「要するに何?結論は?ポイントは何なの?はやく!」
灰色のつくり出す世界では、日常会話でも、相手を待たせてはだめらしいのです。
しかしもしかしたら、考えがあっちへ行ったり、こっちへ寄り道したり、
なかなか結論に行かない、
その過程のすべてが、その人の「考え」なのかも知れないのです。

(中略)

待つこと(エスペラール)が消えてゆく世界では、
もちろん希望(エスペランサ)も消えてゆきます。
人が何かを「心待ちにする」能力は衰えていって、眼の前にないものは、
ただ「ない」ものになります。
けれど本当は、眼の前にないものは、「待つ」ことのできるものだ、と思うのです。
眼の前にないものを待つことによって、
希望がふわりとその姿をあらわすのだと、思うのです。

待つこと。ただ待つのではなくて、待ち、望むこと。

『うさぎ!』(「子どもと昔話」30号/2007年)