2012/01/22

1.22 土地ことば RISE UP



子どもと昔話」2012年冬号。
昨年の秋に編集が進められたであろう本誌、
昔ばなしの紹介、説明はもちろん、
エリザベス・コールさんの今回の巻頭写真は、N.Y占拠レポート。
そして「うさぎ!」でもN.Y占拠に触れ、
2005年にはじまった「うさぎ!」第一回を再掲している。
そして小澤俊夫先生の「日本をみつめる」は、
野田政権に対しての烈火のごとく激しく批判されている。


そしてきょうは、
小澤昔ばなし研究所による、昔ばなしの研究会。
この数日、微熱でもやもやするのだけど、、
きょうは“語る”ための 昔ばなしの研究発表。
気を引き締めて発表(とちゅう、ぼんやりしたけど)。

この数ヶ月、わたしも研究なかまと、
『按司がなし(あじがなし)』という奄美大島の昔ばなしを、
単語ひとつ、ひとつ分解し、吟味し、語るために音として耳で確認してきた。

もう漏れはないだろうと発表したら、師の俊夫先生から、
「句読点と、語りの呼吸とかあっていない」との根本的な指摘、、、。
目で読点を打っているから、実際口で読んだ読点と、書かれた読点があっていないと。
読点は呼吸にあわせて打つものなのだと。
ことばは、呼吸とともに生まれるものなのだ。
すごく根本的な話だけど、再確認。
で、出直し。

そして他のグループの各地の昔ばなしを聞く。
同じ話でも、共通語とその話の生まれた土地ことばできくのとでは、
モノクロとカラーぐらい、その表情が違う。
土地ことばはモノガタリの動力となっている。
共通語にはない、それぞれの土地のことばのもつ、温度とリズム、
そこには音楽としての身体性、人間らしい可笑しみや、愛嬌がある。
このおもしろさ、耳の気持ち良さは、
昔ばなしに興味ない人にも聞いてもらいたいな。
その土地のことばが意味が解らなくても、その独特なリズムを媒介に、
なんとなくお話が解ってくるような不思議体験があって、

そのあたり、わたしは昔話とラップって、同線上にあるんじゃないかと思う。

サウダーヂに出演していた stillichimiya とか聴くと、特にそう思う。
彼らの甲州弁ラップは、甲州人だけが解るというものじゃなくて、
甲州弁の意味は不明だけど、
その不明さがリズムによってなんとなくわかったよな気がしたり、
可笑しみにかわったりして、
奇妙なグルーヴ生まれているからいいんじゃないかって思うのだけど
、、どうなのかな。

話を昔ばなしにもどすと、
今年はグリム童話生誕200年、小澤昔ばなし研究所設立20年の記念すべき年。
6月には、わたしたち昔話の再話研究者たちが、
南は石垣島、北は北海道といったぐあいに、全国から秋田に一大集結する。
それぞれの土地のことばによる語り大会。
これはすごいことになりそう。

そして秋には、生きた昔話の一大聖地、沖縄に行く予定。
沖縄は東北と並ぶ、伝説や昔話の宝庫。
しかもそれが現在も信仰とともに生きている地。
昔話を研究していたら、一度は足を運びたくなるところだ。
ほんとうは、昨年の5月、現地の研究者たちと「伝承と平和のツアー」と称して、
辺野古周辺の昔話伝承の地と、高江を廻る予定だった。
現地の語りべたちと実際に物語の地を巡り、
最後は基地問題に揺れる辺野古、高江を訪れる予定だった。
(俊夫先生は、沖縄の基地について長年反対運動をしている)
それが震災で延期になってしまった。
なので、記念すべき今年は、ぜひ皆で行こうと計画している。

いろんな土地ことばや、物語を探す旅。
2012年はそんな年になるかな。
勉強することはまだまだあるけど、
それ以上に発見することもある気がしてる。

そのために、体調整えるの、優先。
身体を強くしよう。
あとは、、、お金をためなきゃ、、、、。