2012/01/10

こども to おとな

成人の日のきのう、
新成人のアンケートでは、日本の先行きは「暗い」としながらも、
日本を変えていきたい、と8割の新成人が思っているという。
なかなか頼もしいな。


成人、おめでとう。
これからは大人同士、わいわい、声をあげていこう。


この日、甲府から両親が所用で上京してきた。
わたしの部屋をみて、少し安心したみたい。
年末は実家へ帰らなかった。
たぶんとうぶんは帰らないだろう。

わたしはここで、もう少し「家」を作らないといけない。

「こんな手になっちゃった。」とみせてくれた母親の左手が、
ぱんぱんに腫れあがっていた。左足も。
リウマチにちがいない。

そんな手なのに、料理を作ってきてくれた。
そして暇さえあれば編み物をしている。
痛いからうまく編めなくなった、と言いながら。


わたしがどこにいようと、どうしようと、
この人はわたしの母親であり、
そして、自分ができることのなかで、たのしみをみつけている。
すんごい強いなと、思った。

 


わたしの部屋からはすぐそばの小学校がみえて、
ときどき、声が聞こえる。
いまは3学期が始まったくらいかな。


わたしが小学校6年生のとき、
光村図書小学校国語の教科書には
「ゆずり葉」という詩が載っていた。

ちょうど今ごろ、6年生の終わりくらい。
わたしはこの詩を読んで、
じぶんたちがどんなにしあわせなのかを知った。


今でもときどきこの詩を諳んじる。
こどもからおとなへ、
ゆっくりと時間が過ぎる中で、この詩を読む意味もかわってくる。


そして大人になった今、
ゆずるしあわせ、というのもあるのだと解ってきた。
わたしに子どもはいないけど、、

自分がなにをゆずってあげられるか。
何を残せるか、そんなことを考えるようになった。

自然の振り子は、ゆっくりと揺れている。


  「ゆずり葉」 河井酔茗 

   子供たちよ。
   これは譲り葉の木です。
   この譲り葉は
   新しい葉が出来ると
   入り代わつてふるい葉が落ちてしまふのです。


   こんなに厚い葉
   こんなに大きい葉でも
   新しい葉が出来ると無造作に落ちる
   新しい葉にいのちを譲つて。


   子供たちよ
   お前たちは何を欲しがらないでも
   凡てのものがお前達に譲られるのです。
   太陽の廻るかぎり
   譲られるものは絶えません。


   輝ける大都会も
   そつくりお前たちが譲り受けるのです。
   読みきれないほどの書物も
   みんなお前たちの手に受取るのです。

   幸福なる子供たちよ
   お前たちの手はまだ小さいけれど。


   世のお父さん、お母さんたちは
   何一つ持つてゆかない。
   みんなお前たちに譲つてゆくために
   いのちあるもの、よいもの、美しいものを、
   一生懸命に造つてゐます。 


   今、お前たちは気が附かないけれど
   ひとりでにいのちは延びる。
   鳥のやうにうたひ、花のやうに笑ってゐる間に
   気が附いてきます。


   そしたら子供たちよ。
   もう一度譲り葉の木の下に立って
   譲り葉を見るときが来るでせう