春を通り越して、初夏のような日差しがつづく。
冬のあいだ、
わたしの家の隣の寒々しかった空き地も、
気がついたら、草木が空き地を覆い始めた。
春になったら種を窓から蒔こうと思っていたのだけど、
そんなことする必要もなかったのね。
土の下で、冷たさに耐え、ようやく芽吹いてきたのだった。
そういえば、わたしはこの窓からみる春は初めてだった。
刺すような寒さに凍えた土、
堅く口を閉ざしたような景色を、毎夜眺めていたけれど、
いつのまに、そこにはやわらかなみどりの絨毯が広がっていた。
それがどんなにわたしの心を軽くしたか。
わたしのすきな宮沢賢治の詩を、
友だちの web サイトでふと見かけたので読み直してみた。
わたしの目の前に広がる空き地、
わたしがこの半年、いちばんみつめてきた景色。
晴れた日も、嵐の日も。
そこに、わたしの光りのパイプオルガンもあらわれる、ような気がする。
それを祈るようなきもちで、耳を澄ましてみる。
......
もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光りの像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ
もし楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ