2012/05/01

4.30 光りのパイプオルガン

春を通り越して、初夏のような日差しがつづく。

冬のあいだ、
わたしの家の隣の寒々しかった空き地も、
気がついたら、草木が空き地を覆い始めた。
春になったら種を窓から蒔こうと思っていたのだけど、
そんなことする必要もなかったのね。
土の下で、冷たさに耐え、ようやく芽吹いてきたのだった。

そういえば、わたしはこの窓からみる春は初めてだった。

刺すような寒さに凍えた土、
堅く口を閉ざしたような景色を、毎夜眺めていたけれど、
いつのまに、そこにはやわらかなみどりの絨毯が広がっていた。

それがどんなにわたしの心を軽くしたか。


わたしのすきな宮沢賢治の詩を、
友だちの web サイトでふと見かけたので読み直してみた。


わたしの目の前に広がる空き地、
わたしがこの半年、いちばんみつめてきた景色。

晴れた日も、嵐の日も。

そこに、わたしの光りのパイプオルガンもあらわれる、ような気がする。
それを祈るようなきもちで、耳を澄ましてみる。


......

もしもおまえが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもうようになるそのとき
おまえに無数の影と光りの像があらわれる
おまえはそれを音にするのだ
みんなが町で暮したり
一日あそんでいるときに
おまえはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまえは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌うのだ

もし楽器がなかったら
いゝかおまえはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光りでできたパイプオルガンを弾くがいゝ

(宮沢賢治「告別」一部)