2012/05/12

5.11 母と風船

微熱が下がらず、またしても一日寝てしまった。

風邪ではなくて、
去年から患ってしまったものが悪さしているような気がする。
定期的に検診を受けに行っているので、
気にしないようにしているけど、
悪く進行しているのではないかと不安になる。
しかも働けないとお金にもならないので、焦る。
寝てなんかいられないのに、、、。

どうにもならないので、気にしないのがいちばんだ。
あまり先のことを考えてもしかたないので、
ひとつひとつ、
自分のしたいことを焦らずしていこう。
後で悔いが残らないように。


ほんとうはきょう、母が来る予定だった。
きのう、電話があった。
親というのは恐ろしい直感で、
元気じゃないときに「元気?」って、電話してくる。
とにかく心配なので来るというが、断ってしまった。
こんな姿をみせたらさらに心配させるから。


去年、わたしのことで心労をかけてから、
必要以上に連絡しなくなった。
引越のあとの片付いていない部屋をみて、
「切ない」と言って帰っていった母を元気づけるにはどうしたらよいだろう。
去年、がっかりさせたぶんを何でとりかえせるだろう。
思いつかない。
せめてこれ以上心配させたくない。

この半年、実家にも帰っていない。
甥っ子の幼稚園の最後のお遊戯もみてあげなかった薄情な叔母、、。
実家といっても、もうわたしのいるところではないし、
わたしはこっちでがんばらないといけない。
それにはもうすこし時間がかかる。

なのに今こんな寝込んでいる自分がふがいないのだけど、、
母さん、
もうすこし待っててね。


五月のメイデーになると、母を思い出す。
母は仕事の労働組合の関係で、毎年メイデーのデモには歩いていた。
わたしを置いていけないので、仕方なしにわたしを連れて歩いていた。
わたしは一年で一日、
母とずっといっしょにいられたのはメイデーだったような気がする。
だからメイデーは楽しみの日だった。
大人が風船をくれた。

わたしが子どもの頃から家を出る高校くらいまで、
母は仕事から帰ると、具合が悪いのでそのまま寝ていた。
もともと丈夫な方でなく、自律神経が弱い人ではあったけれど、
仕事と子育てでギリギリだったのだろうなと思う。
いまでこそ週休二日が一般的だけど、
昔は週6日、ときには日曜日も仕事の日があった。
父も同じように働いていた。

ふたりは善良な両親で、
こどものために朝から晩まで、それこそ休みなく働いていた。
日々の楽しみは唯一家族が揃う、
朝ラジオを聴きながら食べる朝食と、
日曜日の夜の8ミリの上映会だった。
わたしは両親と過ごした時間は少なかったけれど、
しあわせなこどもだった。


母の日の日曜日、
その日には元気になっていよう。
元気だよ、って電話をしよう。